「何を今さらベルサイユのばら」
戦後(?)の少女漫画を代表する、と言っても過言ではないまぎれもない名作の「ベルサイユのばら」。 何を隠そう私も大好きだった。 毎週買えたわけでもなかったけど連載当時からライブで読んでいたものだ。 (立ち読みとか…苦笑) 単行本を購入したのは多分大人になってからだけど、いわゆる最初の装丁の単行本、「マーガレットコミックス」版を一度は処分して、でも何年かしたらまた読みたくなって結局また買い直して…。 今でも時々読み返したりする。 変わらずおもしろい…。 何度も読んだから、キャラもセリフも暗記してたりして、アシさん達とセリフをそらんじたりパロディにしたりして、「ベルばら」で遊ぶのはことのほか楽しかったものだ… 例えば… 「お金がないなんて、この世で一番恥ずかしいことなのに…」 (BY・マリー・アントワネット) 「結婚だと!?どこをどう押せばそんな考えが湧いてくるのだ!」 (BY.父親からお見合いを企てられて怒るオスカル) なんちゃって… 知ってますよね? もちろん!! 私の世代の女子は、この漫画のおかげで世界史の、フランス革命のところだけ、ものすごく詳しかったりする。 実際にかなり史実に忠実に、(しかも面白く!!)描かれているものだからしっかり感情移入できてすんなり歴史の世界に入ることができる… 見事だ… 掛け値なし、の名作だろう。 とりあえずそれはおいといて。 で、たまたま今日なんでだかネット検索してて、ある残酷な史実を知ってしまった…。 それはマリー・アントワネットの子供たちのその後なんだわ。 漫画でも登場する、3人の子供。 長女のマリー・テレーズ、長男のルイ・ジョセフ、そして次男のルイ・シャルル。 本当はもう一人女の子がいたんだけど1歳になる前に死んだそうな。 漫画には出てこなかったね。 ちなみにマリー・アントワネットの御母堂のオーストリア女帝のマリア・テレジア(ベルばらにも出てくる〜)は、なんと16人の子供を産んでいる!!! 19で結婚、20才からほぼ毎年産み続けている… 偉大だ! それでも5歳になる前に亡くなってしまった子供もけっこういる… 昔だからね…。 昔は、というか日本でも戦前は、子供は死亡率今よりず〜っと高かったのよね。 母方のばあちゃんもそうだった…。 子供、特に男の子が短命で…。 王太子のルイ・ジョセフも10歳くらいでカリエスで亡くなって。 漫画ではこの王子様、オスカルの事好きだったのよね。 葬儀の際、オスカルが「私は王妃になりそこねたぞ」なんてアンドレにつぶやいていたっけな。 オスカルは架空のキャラなのでこれはもちろんフィクションだけど。 残酷な真実、とは次男のルイ・シャルル王子様。 この王子様はルイ16世がギロチンで処刑された時、一応ルイ17世として形ばかり即位するシーンは漫画でおなじみだったけど、それも事実だった、と。 だからこのルイ17世のその後、これがまた悲惨な…哀れな最後だったそうな。 ベルばらでは8歳くらいでアントワネットから引き離されて、一般市民として「教育」というか「矯正」されたはずなんだけど、それが形ばかりで、実際は「虐待」の繰り返しで結局10歳くらいで亡くなっていた。 肉体的にも精神的にも苛酷なしうちの繰り返しで、ほとんど「発狂」に近い… 読むのがつらいほど…。 最後は病気、しかも性病と結核を移されて窓もない不衛生な牢獄で、最後は寝たきりで体中膿の腫瘍だらけだった、というんだから…。 育ち盛りの男の子が、母親やきょうだいから引き離され一人ぼっちにされ、誰も話しかけてももらえず、しかも食事もろくに与えられず牢獄に(しかもトイレもなかった!と)閉じ込められて、衰弱して死んでしまうんだからほとんど「拷問」だろう。 どれほどの地獄だったか…。 さらに残酷なのが、母親(マリー・アントワネット)が処刑されたことをどうやら最後まで知らず、牢獄の壁に「ママ、あのね…」って落書きが残されていたというんだから…!! (ウィキだから100%事実かどうかはおいといて) どれほどの苦しみ哀しみだったか、絶望の中でたった一人で死んでいったかと思うと叫びたくなるよ。 可哀相に! 可哀相に!! いっそ母親と一緒に逝かせてあげたほうが慈悲だっただろう…。 さすがに漫画には描かれてなかったね。 もちろん池田先生は知っておられたでしょう。 小さい子供の残酷な死。 実際いた人物とはいえ何百年も前のほとんど知らない異国の王子様の死がこんなに胸に迫ってくるのは、似たような「死」が毎日テレビのニュースで流れてるからだ。 シリアとか、アフリカとか…。 さっきは南スーダンの難民のニュースやってたな。 もちろんこの平和な日本でもひとりぼっちで死んでいく子供がいるだろうな。 さっきの、母方のばあちゃんもそうだった。 男の子を流行病で失くして、母がその時の事を話してくれたなあ、母にとっては小さな弟で…。 「弟は可哀相だったよ。病気で寝たきりで、最後は目が見えなくなってね、 ふとんの上でおっかあ、目が見えないよう、おっかあ…と言って泣きながら死んでしまった…」 苦しくてしかも暗闇で…どんなにか怖かったことだろう。 飢えも痛みも恐怖もどれも想像するだけで力が抜けていくけど子供にとって、親と離れてしまう事は一番残酷だろうな… とりわけお母さんを失う事は。 それはお母さんにとっても同じことだけど…。 さっきも、アフリカの難民キャンプで、衰弱した弟を抱きかかえた少女のニュースやってた。 2歳だっていうのにまだ赤ちゃんみたいな弟は、衰弱していて多分助からない、と…。 両親は、多分目の前で殺された、らしいと…。 昨日もマンチェスターで10代の子供たちがテロで…。 明日どうなるかわからない、希望がかけらもないと肉体の免疫も落ちていくらしい…。 想像するのが追い付かない、というか怖いんだけど…。 思考を停止させないとこっちが…。 小学校の頃、広島長崎の原爆の話を学んで、私は幼稚にも 「ああ、これで多分終わりなんだ、もう二度と戦争は起こらないんだ」と思ったものだ。 あんなひどい核兵器は、永久に葬られるものだと信じていたのに…。 おばかさん!! 私がさ。 北のカリアゲ君が嬉々としてロケット打ちまくってたり シリアのアサドとかプーチンとか、アレとかソレとかテレビで見るたび 「お願いだ、誰かコイツラを殺ってくれ」と願う。 でも、コイツラがいなくなればなったで、もっとヒドイのが現れるのもわかっている…。 イラクのジョークで「神様、お願いです。フセインの頃にもどしてください」ってあるそうな。 どうにもならないわけだ…。 もしも手塚漫画の名作W3のポッコプッコノッコ博士たちが今の地球の惨状を見たら、 「うん、これは悪い星だ」っていって破壊していくだろうな。 手塚神様も、科学というものは本来人間の未来の夢の具現、のはずがそうではない姿になっていってしまった…と後年嘆いておられたそうな。 アトムも泣いてる…。 情けない事に私はどうしていいのかわからない。 いいトシをした大人なのに。 ごめんなさい。ごめんなさい。… 取りあえず目の前のネームをするしかないんだけど…。
PS. 暗いね、今日は。 風はこんなにさわやかなのに…。
夏子
「洋裁週間」
5月アタマ、「EVILII」の原稿をアップさせてほっと一息… でなんとなく何か作りたくなり(洋裁ね)久しぶりにシャツを作った。 何年か前、取りつかれたように(?)シャツを作り続け(?)、5着ほど作ったら憑き物が落ちたみたいに(?)手が止み…笑。 その時作ったシャツはなかなかいい出来で、その後かなり着たんだわ。 それもお出かけの、とっておきの一枚的なポジションで。笑。 綿なので着ては洗い、アイロンをかけ、また来て…を繰り返したらどうも縮んでしまったようだ。 基にした(市販のお気に入りの)シャツと比べて見たら2サイズほど小さい… おかしい、同じ寸法で作ったはずなのに… よかった、太ったんじゃなかったんだ… なんちゃって。 そういうわけでそのシャツはほとんど着なくなった…。 困った… 着るシャツがない… 毎度春になるたび着る服がない… あるある?…笑。 買いに行けばいいんですが。 でも多分イメージに合う服はそんなにあるわけじゃない… とりわけ、シャツはなかなか… あっても色が気に入らなかったりサイズは大丈夫でもデザインとかイマイチだったり。 例えばポケットとか長さとか、袖の感じとか一か所でも気に入らないと…気に入らない。笑。 値段が少々高くてもほんとに気に入ったものなら迷わず買うよ。 でもね。 ないのよねー。 じゃ作っちゃお、とそんな感じで数年前シャツ作りに励んだ次第でした。。 で、久しぶりにその時の型紙引っ張り出して、撮り置きしていた「LAW&ORDER」を一気流ししながら。笑 前の経験があるのでだいぶスキルアップしてましたし、 「縮み防止の裁断前の水通し」もちゃんとしたし。 それに例えば「襟縫いのコツ」とかネットでいくらでも出てるの。 で、タダで、習いに行かないでもかなりいい出来のシャツが出来上がり! 色もデザインも、「こういうのがほしい!」と自分の好みをすべて取り込んだしね。 サイズも何もかもぴったり、100%お気に入りのシャツを着る事ができるのは気持ちのよい事です。♪ もちろん作る過程が楽しいのは言うまでもないですが。 自己流と言えば自己流、型紙も自分で手持ちのシャツから起こして。 元々大好きだったからね、針と糸で何か作るの。 一応中学の時の家庭科で一通り基本は習っていたし。 中1でスカート、中2でパジャマ、中3でワンピース! 高校ではゆかた、かな。 もう家庭科の時間が楽しみで楽しみで…。 先生が、「本日はここまで。続きは来週。」って言うんだけど私は早く全部縫いたくて仕上げたくて仕方なかったなあ。 で、自分のは家でさっさと作っちゃって、でももっともっと縫いたくて、 「家庭科苦手〜」って困ってる友人のを代わりに作ってやった… というより作らせてもらった。 その上「手間賃」までいただいちゃって。 (1000円とかそのくらい。いい小遣い稼ぎ♪) でも慣れてきているので最初の作品の自分のワンピースとかより友人の作品の方が出来がよかったのは皮肉か愛嬌か… 大して気にしなかったけどね。 自分の作品は満点、いただいてたし。笑。 「アナタ、家庭科の先生になれるワ…」とほめられて…苦笑。 とにかく「洋服ができるまで」が新鮮で感動で…。 今でもやってるのかな、学校の家庭科で。 やらないかな、先生も忙しいだろうしミシンとか扱うの大変かな、今の子には。 そういうわけで久しぶりにシャツを作り、調子にのって2枚作っちゃった。 どっちもいい出来♪ さらにスイッチが入っちゃって…笑。 たのまれた知人の子供さんのお弁当袋も2個作る… これもいい出来… 楽しいったらありゃしない…笑。 さらに編み物教室でそのシャツ着て行って、 「あらあ、手作り?素敵ねえ」とほめられ、気分がよくなり 「何日くらいで作れるの?一か月くらい?」 「いいえ二日半、くらいで」 「ええ!?すごいわねえ」 「…パジャマなんか作れない?」 「もちろん。朝飯前ですよ」 てな感じでパジャマを作らせていただくことになりまた生地屋さんへ。 都内の大きな生地屋さん数件ハシゴして、「あ、これでシャツ作ったら素敵かも」とまた布地買ってしまった… 大人買い〜 高価なリバティ生地を何万円分も〜 うれしい〜 でも困った〜笑。 つい昨日、「いい加減やめて次のネームにとりかからなきゃ。」ってミシンをしまい、ためこんだ布地を少し処分したのに〜。 元の木阿弥か… くふくふ。 でも美しい布地を選び、棚に並べるのは至福の時間♪ 気に入った布地、ってそうはたくさんないですから。 くふくふ…。 あ、新宿のオカダヤに行ったらけっこうお客さんが。 普通の布地はもちろんあらゆる手芸小物や特殊生地、ほらコスプレ用みたいなキラキラ物もたくさん売ってて、女性はもちろん若い男性、「文化服装学院」系なお兄ちゃんもいて真剣に布地を選んでいる… なんかうれしい光景。 裁縫男子か…。 画材屋さんとかもそうだけど陳列されている色とりどりの美しい布地達、糸、小物、etc.…ってつくづく「平和」の象徴だなーと実感します。 美しいなー楽しいなー、平和だなー、風もここちよいし… 巷ではキナ臭いニュースばかりだからひとしお…。 いやいや、まずはネームですわ。
PS. 新しいミシンほしくなった。今のはもう20年くらい使っているので。 まだまだ元気ではあるけど、最新のミシンにも興味が…。 昔主流だった、スイッチのオンオフを足でペダル踏むタイプが欲しいん だけどな… 足でオンオフできると両手が自由になって便利なんですけどね。 ないかな、もう。 あ、特殊アイロン台の「まんじゅう」もほしい! 立体をアイロンがけできる… 興味ないか、誰も。笑。
「GWか…」
GWなんて必要なんでしょうかね? 旅行料金はバカ高いし高速道路は渋滞するし。 観光地は一時期に集中する割には(GW、年末年始、お盆など)その他は閑古鳥、なんてところも多そう。 だいたい国民の休日、なんていって一斉に休んでリフレッシュしなさい、なんてお上に言われる時代でしょうかね。 とはいえ欧州のバカンスみたいに日本人が自主的に長期バカンスをとるとは考えられないし、せめてGWとかに公明正大に休みを取る、って習慣ですかね。 で、提案なんですが。 GWは各都道府県でそれぞれ分けて休日にしたらどうでしょうか。 何も日本国一斉に同じ日にとらなくても。 4月の第何週は埼玉県、その次は栃木県、とか、毎月どこかの県なり地方なりでGWを指定するの。 そうすれば毎月どこかで大型連休があるから観光地は毎月それなりににぎわって。 もちろん高速道路の渋滞も緩和されて。 カレンダーはその県、地方だけ赤い旗日。 お役所も学校も、休み。 北国とかは2月とか寒さの厳しい時にGWを設定し、猛暑の県はそれなりに都合のいい時にとる。 県単位、が不都合なら東北、とか地方単位で。 観光で行く側は行った先が平日でも特に問題ないし、同じ時期に客が殺到しないから料金も低くできるし宿も歓迎だろう。 だって年末年始やGWの特別料金ときたら… 私みたいなフリーランスは安い時に旅行できて恩恵は受けられてたけど。 お盆なんかは「旧盆」とかあって、東京は7月だし…。 何もまったく同じ時に移動しなくても…。 川崎出身の私は中学生まで、7月1日が「川崎市の日」だったんで休日だった。 高校は「県立」だったんで休みじゃなくなって。 ちなみに前日の6月30日が私の誕生日なんで「7月1日は私の誕生日の振替記念日だ」なんて誰も興味がない事をつぶやいたもんだ。笑。 あ、「私は○月がGWだけどカレシは△月、一緒に旅行に行けないから困る〜」なんているかな。 …知ったことか。笑。 ちなみに私が週刊連載をしていた時は週刊誌が合併号になって一週間お休みになりますが私はこれがそんなにうれしくはなかった。 仕事をしたくて仕方がなかった時期もあった。 描きたくてしょうがない、と。 まあ、20代の頃だからね。苦笑。 もっとも、80年代の中ごろまでは合併号は年末年始だけでGWとお盆は通常営業だったな… だからGWなんて普通に仕事だったの。 でも印刷所の方から「休ませて!」の声が高まり合併号ができたのは80年代半ば以降かな…。 それに子供の頃、読者の頃は漫画の新発売がない週が寂しくて寂しくて… お正月とかだけどね。うん。 そういうの、思うと、ね。 休まずに描きたかったものだ。 あ、最近はハッピーマンデーとかで月曜日に休日持ってきちゃうの、あれも微妙ね。 少年ジャンプが金曜日に発売になるのかな?ヤンマガも。 漫画家さんは締め切りが何日か早くなっちゃうのかな。 うわあ、気の毒! 半日が命取りの綱渡りなカレンダーで戦っているだろうに〜。 2,3日早く読めて読者はうれしいだろうか。 でもその次の号が出るのはその分待たされるのだから同じ事だろうか…。 小学生の頃は、学校へ行って友だちに会いたいし、遊びたかったからね。 給食も食べたかったし…笑。 (中学で色気づいてくると部活とか憧れの先輩に会いたいとかさ…笑) 休みなんて苦痛だった。 うちは特別貧乏でも金持ちでもなかったけどGWにどこかへ旅行する、なんて習慣はなくて。 だいたいクラスのほとんどはそうだった。 当時は飛び石連休になることが多かったし。 土曜日は休みじゃなかったし。 その飛び石とかの平日に、バレバレの仮病で休む子がクラスに一人二人いて、たいていお金持ちの子で海外旅行とか家族で行ってたみたいなのよ。 親が子供に仮病使って休ませるなんてどうかと思ったけどね。 ある時そういうケースでGW旅行したらしい子が、休み明け足骨折して松葉杖で登校してきたのよ。 どうやらスキー旅行だったって。 「ずる休みしてんのー!!」ってバレちゃったんだ。 バレてたけどね。ははは。 神奈川出身だから特に「帰省」なんてのもなかったし。 20代になると地方出身の知人友人が一斉に「帰省」しちゃったりしてへえ、そうなんだ…ってちょっとカルチャーショックだった。 あれは寂しかった。 都内もがらーんとして…。 今はご丁寧に5月4日も休日にして飛び石をなくしちゃったんだよね。 あ、5月4日は「みどりの日」ですって。 親切なこって…。 これならもう仮病使って家族旅行してそれがばれて「ずる休みー」って後ろ指指される子もいないわけね。国ぐるみで「休み」奨励か…複雑だ…。 もちろん連休も休めない親(交通機関、とか観光地とか)は今でもいるわけで、旅行もいけない子はせめて学校へ行きたかろう…。 私なんか連休中は医者とかが休みなのでそっちも気になりますがね。 特に緊急で困った事はありませんが。 日本は世界の中では「国民の休日」が多い方らしいよ。 土曜日も休みなのにそんなに休んでどうすんのよ… あ、旅行とか行け、か。 よけいなお世話だよなあ…。 昔昔、大昔GWの合併号がなかった80年代半ば、私は仕事場の窓から見える首都高速の渋滞見るのが楽しみだったんでした。ははは。
PS. 秋のシルバーウィーク?お年寄りのための休日かと思った。 だから地方でバラバラにさあ…。 PS.2 「うんこ漢字ドリル」で朝から死ぬほど笑った。 お腹が痛いくらい… 絶対これほしい!と思う私は小学生!? うんこ先生最高!!
先週末に最後のスノボで新潟へ。 「こんなに暑いくらいなのにまだ滑れるんですか!?」 …滑れるんだよ。 時には雪が降ったりして、標高の高い山ではまだ冬装備が必要だし。 しばしば遭難事故も起きることだってある…。 ま、私はスノボだけれど。 ここ10年以上、毎春泊まる温泉民宿があってさ。 安くて(一泊7000円)ごはんが美味しくて、 …ごはんは自分でよそうの…笑、 なんといっても24時間いつでも入れる温泉が魅力♪ …だったんですが。 先月あたりから業務縮小、 一か月前は電話したけど泊まれず、近所の別の民宿に泊まった。 そこのおかみさん(この方ももう70は越えている)に、 「奥さんが病気になられた、って聞いた。もう80いくつだから…」 と聞いて、ああ、やっぱり…と思いながら 「でも80いくつまで働いて来た、ってすごいことですよね…」と答えるも、やはりどこか寂しい… いや、うんと寂しい。 毎年春になると2〜3回はお世話になって、リピーターも多いから、名前は知らないけど顔なじみのお客さんもいて… ゲレンデや雪のよさもあって。 お父さんは特に愛想がいいわけでもないけれど、毎年毎年変わらず泊り客を普通に迎えてくれて、こちらも「今年もまた来たよー」とか「今年は雪多いねー」とか「新潟のお米はやっぱり最高だね」とか話ながら。 帰る時は「来年もまた来るよーお世話になりましたー」とあいさつをしてシーズンを締めくくるのが恒例だった…。 数年前から息子さんが手伝うようになってたけど、お父さんもすっかり80過ぎ。 年々寄る年波は…。 「お父さんもお母さんもトシをとってきた、いつまで営業してくれるかな…」 「来年はどうかなー…」といつも思っていた。 こっちもいいトシしていつまでスノーボードができるかな…とも。苦笑。 しかし。 いよいよ来るべき時が来てしまったのか…。 いや、きっとお母さんの病気はよくなって、また来年も変わらずに続けてくれるかも…。 もしくは人手を確保して、息子さんがばりばりがんばてくれるかも、とか想像したり。 お嫁さんが来てくれたり…なんて。 もっとも嫁ならタダで働いてくれる…とは少々異論もありましょうが。 でも嫁さん来てくれたらきっと明るくなるかも… なんてよけいなお世話。 この新潟の温泉街はかつてはダムに沈む予定だったらしい。 その時にやむなく土地を離れた人も多かったらしい。 特に若い人とか。 でも詳細は知らないけどその計画は流れて、年配者ばかりが残された、と。 何軒か残っている温泉民宿の多くは多分似たような状況なんだろう。 高齢化で、この宿も、いずれ自分たちの代で…。 でも自然の恵みはすばらしいんだよ、ここ。 雪の量は申し分ない、毎年5月初めまでは営業できるし。 雪質は…新潟なので少々重めではあるけどゲレンデのスケールは大きく、ニセコや白馬にひけをとらない。 ヘリスキーなんかで山スキーを楽しめるプランもある。 もちろん登山者も。 (すぐそばに百名山もそびえているし) 一軒だけある高級温泉旅館は民宿の倍の宿泊料ながらいつも混んでるもの。 新潟だからお米もお酒も美味しいし、水がいいから料理だって美味しいし安いもの。 (お米とお酒は日本一、ということは世界一ね♪) 自然の恵みはトップクラス、うまく戦略を図れば充分に勝算もあるだろう…。 でもご破算になったダム計画のせいかどうか、 そこはかとなく漂う「終末感」… 終っていく温泉街…? ここだけの問題じゃないんだろうな。 日本中、それこそおびただしいシャッター街とか、取り残された観光地って寂しいよね。 民宿だけじゃなく、普通の「床屋さん」「お米屋さん」「電気屋さん」「魚やさん」ほかにもたくさん、 ああ、「本屋さん」もどんどん消えていくね。 東京でも。 どうして普通にお店を開いて普通に誠実に働いていても普通に暮らしていくだけのお金を得る事が難しくなってしまったのか…。 それは日本だけでなく、世界中で起こっている問題なのかな。 なんでこんな世界になっちゃったのか… 終わり感半端ない〜。 そしていつか自分にも必ず来る「終わり」感…。 …って感じで少々感傷的になってしまったのでした。 ま、そんな事ばっかり考えていられるわけでもなく、明日になればまた気分も変わるって…。 山では桜がまだまだ満開、大好きなコブシの花もそこここに。 何日かしたら確実に薄緑色の新緑の季節にとってかわる。 そして来年また忘れずに雪も来てくれるだろう。 (猛暑は飛ばすワケ?!) そのころに民宿のお母さんがよくなってくれてるといいな。
P.S ようやく「シンゴジラ」観た。 …あのー、この映画のどこを楽しめばいいんでしょうか? 竹野内豊は好きな俳優さんだけど、劇中「大人ウ〜ノ」と言いそうだし 大杉連や今泉成が総理、と言われても…。 ひたすら攻撃されるゴジラがかわいそうでかわいそうで…。 一つだけおもしろかったのは「在来線爆弾」。 在来線かい!山手線かな総武線かなーそれとも小田急線… 田園都市線も忘れずに。笑。