うう、風邪をひいたらしい・・・。 先週から何気に咳がでていた。 今まで風邪をひいてもめったに咳が出る事はなく、たいてい鼻にきてたんだけどね。 一応、土曜日に内科に行って診てもらって、 「のどが真っ赤、風邪です」と言われて薬飲んでいたんだけど・・・。 それが薬全然効かない。 それどころかよけいひどくなった。 熱や身体のだるさや関節の痛み等はほとんどなく、咳だけで、お医者さんも(私も)大した事なかろう、と思ったんだろうけど。 咳はどんどんひどくなる、咳をする衝撃で背中や腹筋も痛い、喉もどんどん痛くなってヒリヒリしてきて。 何より夜中の咳にはまいったまいった。 喉がむずむずするなあ、と思ったらもう発作のような咳の嵐、息する間もないくらい。 仰向けになると喉を刺激するもんだからベッドに椅子に腰掛けるように横になってうとうと寝て、また咳が出てのたうって・・・ ああやだやだ。 しようがないので今朝別の内科行って診てもらい、もう少し強い薬を出してもらい、今は少しましになりました。 (まだまだ咳はでるけど) それでも熱は出ず、だるくもないので仕事はしてましたが。 何かしていた方が気がまぎれるし。 このような風邪が流行っている、とのこと。 気をつけましょう。 ふうう。 P.S お医者さんに喉を診てもらった時、喉に機具を突っこまれて「げほっ」って むせたらお医者さん、椅子のキャスターでさあーっと2メートルくらいタイミング よく後ろに下がりやがった。アスリート。
夏子
「ピクシーが・・・」 グランパス、名古屋に来るらしい。 でも「監督」じゃないんだってさ。 何か、別のポジション、ゼネラルなんやら、が希望とか。 なんかいやな感じがする。 日本で仕事をする、というならガツンと「監督」やってほしい。 日本で仕事(報酬)はほしいけどあまり大変なのはいやだ、いずれやるのはやぶさかではないけどとりあえずなんとなくゆるいスタンスでいきたい・・・ てな魂胆が透けて見えるような・・・。 「監督」をやると負けがこんだ時どういう扱いをうけるかわかってるんだろうね。 (もっとも日本は元スーパースターには甘いけど) あまり重い責任はいやだけど仕事(報酬)はほしい、サッカーにかかわって生きていきたいし、もちろん「妖精」として特別に扱ってほしい・・・。 なんか調子いいよなー、と思ってしまう。 そういえばあの「神様」もそうだったよな。 テクニカルアドバイザーだかなんだか肩書きを持って、いよいよ日本代表の監督になって、「神様」として存在してたらあの結果。 確かに彼等が日本のサッカ−界に存在することはうれしい。 ベンチにブッフバルトがいた時は「華やかでいいなあ」と思ったもの。 だからこそ、「監督」として華やかに、そしてガツンと仕事をしてほしい。 それがお互いにとって一番幸せではないか。・・・・ 選手時代の利子で生きていきたいのか。 (元本はでかいよね。でも日本は金利低いぞ) 大変な事はいやで、楽したいのか。 日本をなめるなよ、と言いたい気分。 いくつかのチームで監督やってたエンゲルスは楽しかったな。 日本語もかなりマスターしていて、昔、サポーターにヤジられて、真っ赤になって 「ワタシ、ニホンゴワカリマスッ、『シネ、ハゲ』ッテ イワレマシタッ!!」って 反撃していたっけな。 ピクシーやジーコがそのくらい日本になじんでくれたらなあ。 3倍くらい大好きになるのに。 P.S 「イカロスの山」最終10巻発売中、よろしく。
「亀田か・・・」 やってくれましたねえ。 私は初めからこの亀田一家は大嫌いだった。 あの頭の悪そうな関西弁で「なんじゃーこらあ」とか「どおらああ」とか聞くたびテレビのチャンネルを替えていた。 こいつらを見るたび、立吉(丈一郎)がまともに見えたもの。 (立吉も好きではなかったけど) 試合はね・・・あそこまでやるかーと思うほどぶざまだったな。 あれじゃね、内藤もまともにボクシング、できなかっただろうね。 それでも「ラッキーパンチ」や出血によるTKOが怖いから消極的に見える試合はこびにならざるを得なかったんだろうな。 亀田一家・・・ひとつだけ逆転の一手があるとすれば、オヤジが消えることだろうな。 息子からいっさい手をひいて、どこか、まともなジムに預けるんだ。 「自分がいたらいけない」とかセリフを残して。 で、いっさい会わない。 息子達がもしかして世界チャンピオン(真の)になった時、会う権利ができてさ。 で、せがれ達は 「おやじから離れてもおやじのボクシングを忘れる事はなかった、 ずっと心の奥にいた」とか言うの。 でもおやじは会う事を固辞するの。 とことん自分を消す。 息子達の涙。 おやじの背中、遠く。・・・・ というストーリーはどうでしょ。 今までが悪かった分、おつりがくるほど名誉挽回できまっせ。 長い時間がかかるけど。 その時間の長さに耐えられたら・・・そこそこのドラマになるかも。 彼等を憶えていたらの話。
「シ−ズン終了〜」 先週末、南アルプス(北岳、間ノ岳)を登り、無事今シーズンの登山を 終了させました。 (北岳は富士山に次いで標高2位、間ノ岳は4位の堂々たる山) はああ〜。お疲れさん。 どちらも高校2の時の合宿で登ったのだけれど、北岳はよく覚えているんだけど、間ノ岳はまったく記憶にない。 登ったかどうかもさだかでない・・・ 一般縦走路なので必ずそこを通っているらしいが、やはりまったく記憶にないものを「登った」とカウントするのもどうかなあ、と後ろめたかったんだけど、この度確かに登頂、と胸をはれることになりました。 それがさあ、今回、これ以上ない、というくらいものすごく体調がよくて。 参考コースタイムの3、4割りも早く登れたんでした。 いやあ、ほんと、気持ちよくぐいぐい登った。 北岳の肩から間ノ岳へ向かう稜線はほんとに美しかったし、あんまりでかいのでまるでベニヤ板みたいに見えた富士山も、今年たくさん登った南アルプスの山々も360度のパノラマで見事で。 北アルプスや中央アルプスの、頂上で見えるめぼしい山のほとんどをすでに登り終えていて、 「ああ、もうあれに登らなくていいんだ・・・。」と ようやくなんか、解放されたような気分になりましたな。 そして午後2時過ぎなのに影は長く(夏のそれとは確実に違う)、稜線を突き上げる風はとても冷たく、 「もうすっかり秋だ(10月なんで当たり前か)、夏山(シーズン)は 終りなんだ・・・」と感慨もひとしお。 早朝の登山道には霜柱、鰯雲の上にはすじ雲が浮かび、 「秋というよりもう初冬だなあ」との声も・・・。 どの山も登りは(もちろん下りもそれなりに)しんどいし、胃をこわしたり、ハチに刺されたりもしたけれど、とにかく終った、終った。.... 百名山も98コ、あとは劔岳と幌尻岳を残すのみ(いよいよ来年は完登かな)。 それは来年にまわすとして。 ああ、もうとにかくもう登りたくねえ〜〜〜登らなくていいんだ〜〜〜。 よかった、よかった・・・あとは温泉・紅葉ハイキングでもしよ♪ シ−ズン無事終了。 ハイ。 P.S 今年のベスト3は「飯豊山」「奥穂高」「聖岳」かな。
いきなり寒くなってしまいましたね。 体調をくずさないように気をつけなきゃ。 時津風部屋、大変なことになってしまいました。 朝青龍問題なんかどっか吹っ飛んでしまった感じ。 朝青龍のしたことなんか大した事じゃなかったのね。 考えてみりゃ、あの親方衆の誰が朝青龍を責められるというのか。 あっち(親方供)の方が数段タチが悪かったと言う事か。 金魚鉢の金魚を思い出してしまった。 時々尾ヒレや背ヒレを仲間にかじられちゃってかわいそうな姿で泳いでいるやつがいてさ。 狭い金魚鉢、ストレスがたまったのか、お腹が減ったのか・・・。 まわりにはお互いしかいないからね。 どこにも逃げられないし。 生き物は抑圧された環境ではかように攻撃的になるのかな。 北の湖理事長もさ、あんまりしゃべらないけど胸の中でやっぱり思っているだろうか。 「力士でなけりゃわからない、力の世界で生きていく、ということが どう言う事か。力士同士のぶちかましがどういうものか」と。 それはもう、「恐怖」の一言だったのかもしれない。 朝青龍も、「力さえあれば。まず力がなければどうにもならない世界。強くなるだけで精一杯なのにさらに人格まで備えろ、と要求するのか」と言いたかっただろうか。 「角界」といういびつな世界で、かかるストレスは相当なものがあるだろうな。 「いじめ」と同じでより弱い者に発散していってしまったのはむしろ当然なのかもしれない。 金魚鉢みたいに。 どのスポーツも多かれ少なかれストレスはかかりますけどねえ、 (スポーツに限らず、現代社会や、家庭でさえ) でもやっぱり「殺人」まで起きてしまったのは(過去にもあったよな・・・)やはり異常です。 17才で殺されてしまったあの子がひたすら気の毒。 これで国技と言えるのか・・・。