先日掲示板で「ROADの1〜3巻がない」とのカキコミがありましたが。 単行本の重版は書店からの注文がないと出版社はしないのですよ。 作者から「重版してくれ」ということは決してできません。 (できるといいなー) あくまでまとまった数の注文がきてから本は刷られるのです。 ですので目当ての本がない時は書店に注文してほしいのですが、ここからが問題なんですが昨今、買いたい本が本屋になければたいていは注文はしないでブックオフなどの新古書店行くでしょう。 そうすると、新古書店は出版社には在庫注文しないから結果、重版で刷られる本の数は減っていきます。 そうして流通する本の数はだんだん減るわけです。 これが今漫画家や出版社が困っている「新古書店問題」のひとつです。 ・・・かと言って書店に注文しても手に入るのは2〜3週間後(在庫がある場合のみ)じゃあね。 今インターネットで世界中の物がすぐ買えてしかも送ってくれる時代に本だけがこれじゃあね。 誰も注文なんかしないよ、現物がある新古書店に行くよね。 (私も行ったことがある) しかも書店の本棚には限りがあるからまず新刊しかおいてないし。 いろいろな問題がからんでいるけれど私が思うのは「もう流通の形体が変わったんだなあ。」ということです。 売り方を変えなければならない時期にきてるのかな、と。 ・・・と言いつつじゃあどう変えたらいいのかと聞かれても名案は浮かびません。 売り方はそのー、売る人が考えてくれないかなーと正直思っています。 私は描く立場なので描くことにエネルギーをそそぎたいんです。 今、ベテランの方たちがシンポジウムなどを開くなどして活動されています。 先日もありまして私も行こうと思ったけれどその日はアシスタントを呼ぶ日だったので行かれませんでした。 大事な問題ではあるんですけど仕事より優先はできませんでした。 ほんとに、主催者の方々には申し訳ないと思ったのですけど・・・。 問題が複雑なので話がまとまらないな・・・。 とりあえず新古書店には「新刊を同じ日に売るのだけはやめてくれないかなー。」とは言いたいです。 せめて1年は据え置いてほしいな。 無理だけど。 あとは正直よくわかりません。 ただ漫画を描くだけです。 今のところ。 P.S でもROADがなかったら本屋さんに注文してね、ね。
夏子
先週末菅平高原へ滑りに行った。 標高が高いのでまずまずの雪質、思いきりトップシーズンの滑りを楽しんだ。 10代のギャルや20代のねえちゃんたち、あまつさえへっぽこのにいちゃんもぶんぶん追い抜き、私はすっかり菅平の女王だった。(自称) リフト券2食付き1泊1万円はかなり安い。 (しかもチェックアウト後入浴O.K) おまけにスキ−場で働くおばちゃんたちはかなり感じがよかった。 菅平かなりえらい。 通信簿は7.0をつけたいと思う。(6.0が平均として。) ゲレンデがなだらかなせいか、夏のテニスやラグビ−合宿などが盛んなせいか、学校のスキ−教室でゲレンデは一杯。 小さい小学生や中学生がお揃いのカラフルなウエアで連なってボーゲンで滑ってくるさまはまるで連凧みたいだ。 じゃまくさい...などと言ってはいけない。 私たちが発った後の部屋はすぐ中学生らしき団体でうまったようだ。 しかし6畳ほどの部屋に5人ぶっこまれている。 わあ...。 中1くらいのちっさい子ばかりだったみたいだから大丈夫か...。 楽しそうに鶏の群れのようにキャアキャアさわいでいた。 高校の時のスキ−教室を思い出した。 その時もけっこう狭い部屋にぶちこまれたっけ。 夜はこたつに足をつっこんで放射状にふとんをひいて寝る。 お昼はたまご丼。 ほんとに肉のひとかけらもなく(たまご丼だし)玉ねぎだらけの汁かけ御飯がおいしくておいしくて....。 次は八方尾根を攻める予定である。 安くてゲレンデに近くてお風呂のきれいな宿に当たるといいな。 P.S スノボエッセイ漫画描きたし。 入札は当方まで。 わはは。
「成人の日」 13日は成人の日だったようでして。 懐かしいようなどうでもいいような。 20ウン年前、そういえば私も行かなかったなあ、式典に。 たしか女友達とスキーに行っちゃったっけ。 当時もやっぱり同窓会みたいなノリだったらしい。 高校卒業して2年くらいで別に会いたい友達もいなかったし、会ったところで話すこともそんなになかったんだ。 当時の私は大学もろくに行かず、漫画も中途半端で経済的にも精神的にも自立できてるはずもなく・・・ 何をしゃべればいいのか、って。 何もなかったなー、語るべき自分、なんて何も持っていなかったのだ。 自分が何者なのか、どっちに向かって歩けばいいのか・・・ 一番わからない年頃だよなあ。 そうでもない? だからあたりさわりのないことやどうでもいいことを話すくらいなら一人でいる方が好きだったな、そのころの私。 かっこつけてたのかもね。 「夢」は多分あったけどそれを口にだすのはものすごく恥ずかしいことのように思っていたんでした。 「漫画家になりたい」なんて口にだしてもしなれなかったらかっこ悪いじゃないか!ってね。 だから口にはださず、内緒で少年マガジンに投稿しはじめたのが20歳くらい。 それで1年くらいして賞をもらって雑誌に載って初めて実は漫画を描いていた、ということをバイト先の人や知り合いに白状したんでした。 みんなびっくりしたような、なぜかすごくうれしそうな顔で 「えー、漫画描いていたんだ、ヘイウチさん・・・」 言ってくれたっけ。 なんで私のことでうれしそうにしてくれるのかな、と思いつつ(今はその気持ちよくわかる)恥ずかしいのでろくにお礼もいわず・・・。 たくさん「おめでとう」を言ってもらったのに・・・。 もしまた20歳にもどれるとしたら? 絶対ことわるね。 20歳、なんてあんなに不安で未熟で頼りない(金もない)日々は2度とごめんですね。 P.S それにしてもテレビはなんで馬鹿みたいな子ばっかりだしたがるんだろうね。 日本の成人はあんな馬鹿ばっかりか?
火曜日から私の仕事場も仕事始めです。 いよいよアッパーズの連載の作画に入りました。 気分が引き締まりますね。 昔、デビューして2年目くらいの頃、そう言えば元旦から仕事した時があったなあ。 たしか、「フィフテイーン ラブ」が始まってすぐに「おれたちの頂き」の単行本用に読みきりを描くことになった時だったな。 年末年始で2週間休みになるのでその間に70ページを描こう、と言う事態になって。 いやあ、よく引き受けたなあ。 今なら絶対ことわっているよ。 こわいもの知らずでしたね・・・。 もう大晦日も元旦もなくてネームができて打ち合わせしたのが1月2日。 テレビもごちそうも関係なく、ひたすら机に向かったっけ。 担当さんもよく来てくれたなあ。 そういえばあの時担当さん、奥さんと別居し始めて暇あって・・・ おっとっと。 たしかお正月だったんで今ほどお店も開いてなくてさ、ファミレスみたいなとこで打ち合わせしたもんだ。 懐かしいなあ・・・。 スケジュールが大変だったので楽しい、とは思わなかったけど苦じゃなかったなあ、ちっとも。 好きな仕事ですからね。 今は楽ですけどたいくつなお正月です。 まあ、今年は雪ふって寒かったしね。 こたつで駅伝見てました。 P.S 太ってない?
明けましておめでとうございます。 2003年ですか、早いもので今年は私が漫画家生活を始めて20年になるんですね。 これがどういうことかわかりますか? ....20、トシをとったということだー! ぎゃー。 と、冗談(真実?)はさておき20年続けてこられたということが驚きと感動であります。 よくやってこられたなあ、と感慨ひとしおですね。 自分で自分をほめてあげよう...。 始めの10年はいろいろ精神的、技術的に未熟なこともあり「くそお」と思うことがないではなかったけれど後ろの10年はかなり楽しかったですね。 どちらにしろ自分で描きたい、と思うものだけを20年描いていたし。 これを描け、と誰かに強制されて描いたものはただのひとつもなかったですから。 これはもう誇りですね。 失敗作だな...と思うものもいくつかあったけれど...できが悪くても「自分の子供」ですからね。 いとしい、と思う気持ちにかわりはないし...。 (もうちょっとこうすりゃよかった...とは思いますが) この間、うれしかったことは自分でも驚く程他誌、他社の編集さんから「作品がほしい、一緒に仕事をしたい」とオファーをいただいたことです。 (特に青年誌。) 私の作品は人見知りしないシンプルなスポ根なのでどの雑誌でもバランス的に一つは必要なのだろう、なんて客観的に考える事もあるけど、ほとんどの編集さんがほんとに私のスポ根好いてくれているんだなあ、とひしひしと感じました。 うれしくて、ほんとはどれも受けたかったのだけれど物理的にはちょっと難しいので実現できませんでしたが。 それに40〜50ページくらいの短編ってどうも苦手で....。(失敗作多し) どうしても100〜300ページくらいになってしまう、そうするとますます不可能になる...。 それにやはり自分の根っこをはった少年マガジンがやっぱり一番居心地がいい....。 それにしてもマガジンにはかなりのわがままを許してもらってますなあ。 感謝、感謝の一言です。 といいつつ今年はヤンマガ・アッパーズから仕事が始まります。 もうネームがスタートしてるので作画に入ってます。 (正月ってヒマなので...) かなり香りただよう作品なので乞う御期待です。 たぶん3〜4月ころ掲載です。 ...おそくてすみません。 でも描いてます。 それが終わるとたぶん「ROAD」の続編かきます。 まだまだ長距離というものを掘り下げてないので難しいけれどやりがいがあります。 (...まだ中身きまってなかったりして) 記念すべき20年目(20トシを...)がんばって描き続けますので引き続きよろしくね。 願わくばもう20年描きたいと思ってます。 できれば死ぬまで...。 P.S 私は先週遊びまくってたので年末年始はおとなしくビデオ見たりきまぐれに仕事したりして過ごします。 あ〜あ、子供のころはあんなにお正月楽しみだったのにねえ。 大人になるとつまらんのう。 だれかお年玉くれないかな。
平成15年1月1日 塀内夏子