「自己責任・・・」
BSのCNNとか海外ニュースを見ていると、もう長い事きな臭い事件が続きますね・・・。 その余波は日本にも来てしまって・・・。 90年代頃、とある海外ニュースを覚えている。 もう詳細は忘れてしまったのだけれど多分東欧あたりの紛争がらみの難民の話。 12,3歳くらいの被災した女の子が二人。 多分二人とも親を亡くして難民キャンプのようなところで知り合い、仲良くなった。 しばらくして、二人にも救助の手が差し伸べられ、多分別々の施設か親戚に引き取られることになったらしい。 別々の場所へ移る別れの日。 多分別々の場所へ向かうバスか何かを待っている間。 二人はしっかり手をつなぎ、でも笑い合いながら最後の時間を過ごしていた。 つかの間。 多分2,3時間だったと思う。 時間を惜しむように?いやそれも意識してないかのようにそこらの普通の日本人の少女と同じようにおしゃべりをしている。 しっかり手を繋ぎ・・・。 そして二人はロウセキみたいなもので地面に、 お互いの名前と、それから 「一番 大好きな ともだち」と書いた。 そしてバスが来る。 片方の少女が乗り、もう片方の少女は手を振っている。 最後まで笑顔、「さよなら、いつかまた会えるといいね」という気持ちか。 (ここは推測) 細かいところはほとんど忘れてしまった。 覚えているのは手をつないで二人ぶ並後ろぶ姿の映像。 多分もう二度と会えないかもしれない・・・。 苛酷な運命が多分待ち受けている可能性の方がきっと大きい・・・。 もうひとつ、テレビか新聞記事だったか覚えてないけど、10何年か前、中東(?)あたりの紛争地域で活動する日本人女性カメラマンが確か地雷か何かで犠牲になったニュースがあった。 その女性はどこかの国の軍隊と帯同していたらしいのだけれど、兵士達は彼女を「エンジェル」と呼んで大事に守ってくれていたそうだ。 なぜなら、そこで起きている事を伝えられるのは彼女だけだったからだ。 「この理不尽な戦いを世界に知らせてくれ」 「俺の写真を撮ってくれ、できることなら家族に届けてくれ」・・・・ また巷では「自己責任論」が出てきた。 確かに危険な地域に自分の意思で赴いたのは事実。 でも世界のあちこちで起こっている事を、ジャーナリストが伝えなければ誰が伝えるのだろう? と思う。
夏子
「井田真木子本」
普段ほとんど本読まなくて・・・ 10代の頃は必ず何か読んでたもんだけど、電車に乗らなくなってからはすっかりごぶさた。 〆切で忙しい頃はおもしろい本に当たっちゃうとつい読んじゃって、睡眠時間が少なくなって困ったりしたので。 そりゃおもしろい本に出会う事は格別の喜びには違いないのですが。 で、井田真木子さんの本。 20年近く前(!)、当時の担当さんからこれおもしろいですよ、と「プロレス少女伝説」という文庫本をもらったのが井田真木子本との出会いでした。 それは、3人の女子プロレスラーを題材としたノンフィクションで。 ふうん、そうなの、と何となく読みだしたらこれが面白くってね。 私は好きな本は何度も読むのでこれも、もう十何回も読んだかな。 そのたび先はわかっているのにいちいちおもしろくって。 そう、お気に入りの歌を歌う快感に似てるかな。 ここ、ここ、このサビがいいのよ・・・、って感じ。 音痴だけど別に誰が聞いてるわけでなし。笑。 かの有名なフレーズ、「心が折れる」というのは多分、この本が発祥だと思う。 (インタビュアーの著者が神取忍から引き出した言葉) 著者が何年も前に亡くなっていることは新聞記事で知ってはいたけど、昨年作品集が出版され、改めてクローズアップされた。 で、「ああそういえばこの人の本おもしろかったよな」と思いだしていくつかを購入する。 やっぱりおもしろかったわ。 いや本当に。 割と、普通の人を追うノンフィクション、なんだけどその掘り下げの深さ、対象の人物に対するまなざしの深さ、鋭さ。 決してやさしさみたいなものを前面に押し出すわけではなく、淡々と事実を描写していく文章の強さ、よ。 対象の人物に対するほどよい距離感、つかず離れず、寄り添い、追い続け、その人物を描きながら著者のシルエットも浮き出てくる・・・、まるで主旋律と伴奏、みたいだ。 「消える14歳」もおもしろかったけどその次に読んだ「小蓮の恋人」が圧巻だった。 中国残留孤児とその2世の子供達を追うルポルタージュなんだけど、そこらの小説なんかよりずーーーっと迫力があっておもしろかったわ。 偉人でも達人でもない普通の家族の肖像なんですけど、その掘り下げの深さというか 「そうそう、これが井田真木子本!」とうなるくらいおもしろかった。 凄かった。 楽しかったし考えさせられた。 感動した。 もうぐい、ぐい、と読めちゃうのよ。 こんな本はめったに出会えない・・・。 が、しかし。 この本、アマゾンの中古本で買った。 価格は「1円」だった。(1円プラス送料270円くらい) 1円!!! 1円・・・。 これほどの本が1円・・・。 図書館の本のようなシールが貼ってあったので、多分中古の本を大量に手に入れ、御代はいいから持って行って下さい、という値段だ。 なんかすごく複雑だ。 ブックオフとかで漫画(私のも)がワゴンか何かで100円とかで売り出されているけど、それも複雑な思いだけれど、1円か。 きっと私の本もどこかで1円とかで出てるんだろう・・・。 さすがにそれは見たくないな、なんか自分の子どもがどこかで客を取っていて、最初は銀座とかにいて、だんだん六本木とか新宿とかに移って、その内トウがたって地方の小さなとこで・・・ 「あ、おまえ、こんなところで・・・」ってなんて例えだい! でも自分の本が1円で売られるくらいならいっそただにしてくれ、と思う。 自分が子供の頃に、床屋さんやお医者さんで待ってる時間に読んだみたいに、お金なんかいらないから、手に取って、読んで、しばし楽しんでください。 その方が本も私も幸せだ・・・。 ま、感傷は置いといて、とにかく井田真木子の本はおもしろかった。 本屋できらびやかに売られている新刊よりも何百倍も感動したよ。 (と言いながら新刊とか読んでないわ。笑) 値段は関係ない。 P.S 先週末、万座に滑りに行く。 マイナス6度の冷え込み、でも冷えれば冷えるほど雪は上質に。 巷で話題の「コース外滑走」でなくても充分パウダーランを楽しめました。
「表現・言論の自由・・・」
例の、パリのテロ事件が起きて、世界中で「表現・言論の自由」を守れ!と叫ばれてますが。 ・・・表現・言論の自由かあ。 長らくそんなものは「絵に描いたモチ」だと思ってたよ。 だって漫画製作ではしばしば「NGワード」やタブーが存在してたからね。 私はスポ根が多かったのでめったに不自由や理不尽は感じなかったけど、ないわけじゃなかった。 昔、単行本のおまけ漫画で 「新聞の勧誘がしつこかった」ことをネタに他愛もないエッセイ漫画描いたら「載せられない」「絶対だめ」「その新聞社と関係が悪くなったらどうするんだ」と言われたっけな。 「どうしてですか?特定の新聞名を出すわけじゃないですけど」と食い下がったら、 「それでもダメ。非常識だ。そんなこともわからないのか」としまいにゃ(担当編集に)ののしられた。 「???」 納得はいかなかったけど、おまけ漫画だからいいか、とあきらめた。 (今でもよくわからないのは私が無知だからかな) 作品でも、「その単語、表現はだめ」と言われたケースはたまにあった。 たいてい、テーマの本質ではないのであきらめて他の単語とかに差し替えた。 雑誌は「総合デパート」みたいなもので、漫画家はそこに出店させてもらっている自営業者、みたいなももなので、その「デパート」の方針に合わせるのは当然なんだろうな、と納得させた。 そのうちこっちもどういう表現や単語がだめなのか学習していった。 たまに使いたい単語もあったけど作品の本質とはさして関係なかったりするので取り立てて論争はしなかった。 よけいなところでエネルギー使いたくなかったし、どうせだめだったから。 でもある時(エッセイ漫画で)「オカマ」がだめ、と言われた時は「???」だったな。 何でも、「そういった方達を傷つけるから」だそうだ。 これにはちょっと驚いた。 オカマ、もだめなんだ・・・ 独特の味わいがあるのに・・・ 残念だ。 だめだとわかってはいたが冗談で 「でも言論・発言の自由、は憲法で保証されているんですが」と言ったら単行本担当の編集のネーチャンが 「でもだめです」 ですって。 あ、「ネーチャン」もだめかな? でも「ニーチャン」じゃないしね。 でも「ブス」は全然OKなんだよ。 ブスの人が傷つくじゃないか・・・とは誰も言わない。笑。 「巨乳」ももちろんOK。 結構不愉快なんですよ、ただバストサイズで分類されるの、って。 誰が巨乳だ・・・笑。 そのうち、だめなのはわかっていたけどわざとあきらかに「NG」ワードをネームに書いたりした。 すると、編集さんすまなそうに笑いながら、 「ヘイウチさん、これ、だめなんですー」と。 わかっていたよ。 わかっていたけどそこはその言葉がぴったりだったんだけどね。 「差別主義者の俗物」ってキャラクターだったからね。 表現・発言とは関係ないけどマクドナルドの「M」も描けないんだよ。 (あの「M」が描けないから漫画家さんはよく「M」を逆さにして「W」にしてたりするよ。 チェックしてみて。あとジャイアンツの「YG」もだめ。 描いていいのはジャンプだけ。 我らが「巨人の星」は例外、とのこと) だいたい外資系は名前やマークにはすごく厳しいんだよね。 登録商標、だからだったかな。 うっかり描いちゃうと莫大な金を要求される・・・ 許可を取ってもたいてい断られる。 だまって描いたら問題外。 まあこれは今回の問題とは違うけどね。 でもあのパリの事件の後の10万人規模のデモにはほんの少しの違和感を感じた。 だいたいあの風刺雑誌を知らなかったし問題の風刺漫画も知らないから少なくとも「我々は〇マルだ」と叫ぶ資格はないな、私には。 もちろんいけないのはテロ=暴力に訴える手段であって、もちろんそのことは私だって問答無用で賛成だ。 その事でだったらデモに参加するぞ。 だけど、「何描いてもいい、自由だ」とは思わない。 そのデモのニュースの中で、イスラム系のフランス人女性が、 「表現・言論の自由は尊重するわ、でも(あの新聞社には)もう少し(私達に)敬意を持ってほしかった」と言っていた。 私もそう思う。 P.S 例の、ソニーのナントカ、って映画、すっごい下品でくだらないんだって さ。 そういうくだらない映画だってなんぴとにも干渉されずに公開する権利を 有する・・・ どんだけくだらないのか観てみる気は・・ ないない。
「謹賀新年♪」
明けましておめでとうございます。 これで何十回目の正月か・・・ 少しも楽しみじゃなくなったのはいつからだろうか・・・笑。 正月早々、山の遭難のニュースが。 燕岳、穂高岳、富士山、北岳、男体山、(スノーボーダー遭難の)かぐらスキー場、どれもお馴染みの名前ばかり。 どれも登頂した事のある山だし、かぐら山は毎年滑りに行ってるゲレンデだ。 どのコースで登ったり滑ったりしたかもだいたいわかる・・・。 悲報になってしまったニュースもあるし、「無事生還」もあった。 その生還の、スノーボーダーの事故は。 確かにコース外は「禁止」なんだけど、ふわふわの新雪(パウダー)を攻めたい気持ちはよくわかる。 ゲレンデじゃ味わえない感触と快感で、格別だからなあ。 もちろんこういう事が怖いので私はまずコース外滑走はほとんどしませんが。 確かに当のスノーボーダーに過失があるのはよくわかりますが、でもよく一昼夜(36時間くらい?)がんばったなあ、と思いました。 スコップを持っていたこと、それで雪洞を掘って夜間をしのいだこと、そして天気が回復したら、視界を確保できたら上に登ったという事。 ここ、凄いなあ、と率直に思いました。 普通遭難とかしたら、下る人が多いものです。 知った山なら特に「もう少し下りれば麓につくはず」と思って下ってしまうケースが多いのですが、たいてい日本の山は下れば、沢になり、たいてい崖になっていて、滑落や負傷したりしようものなら動けなくなり最悪の状況にもなるケースがある・・・とよく聞きます。 迷ったら上に行く事。 頂上や尾根の方がヘリに見つけてもらいやすいし携帯の電波も入りやすい。 山は下れば末広がりだが頂上はただひとつ、「点」だからだ。 沢などで救助を求めても、樹木がさえぎったりしてヘリからは見づらく、運よく見つけてもらえても、狭くて容易には近づけないからです。 ついでに登山シャツやザックや、ボードウエアなどは目立つような派手な色がよい。蛍光色など最高。 カーキや迷彩は・・・NG。 私も登山服や用具は赤とかばかり。 このスノーボーダーさん達は、冷静に雪洞を掘り、体力を保ち、そして頂上方面へ救助を求め、そして救助された、と聞く。 (確かにコース外滑走はいけませんが)よく一晩ビバークで耐えたなあ、がんばったんだなあ、と思いました。 軽い凍傷のみで、意識もしっかりしていたし。 強かった、と思います。 私ならそうできるか、自信ないなあ。 (まあそういう局面にならないで済むようにはしてますが・・・) 山での道迷いも、ゲレンデでコースを間違えることも、よくあることなんです。 時折、まるでエアポケットのように、ふっと間違った空間に陥ってたりする。 瞬間ホワイトアウト、というか。 よく知った場所だし、まるきり他人事には思えませんでした。 会見で「初めて冬山の怖さを知った」と語っていたけど、そうだろうなあ。 本当に、そういう経験をして初めて知るんだろうなあ。 知りたくないなあ、私は。笑。 だから、泣くことなかったのに。 泣かなければかっこよかったのになあ、とは今だから言える外野のたわごとですが。 それから、あの男性の髪型。(フシギな・・・) 何かと思ったらドレッドだったのね。 何か、ターバンでも巻いているのかと。もしくは蛇とか・・・ないない。 あれだけ髪の毛あるなら、帽子がわりになって暖かかっただろうか。 一応純毛、100%ウールだし。笑。 今だから言えますが。 でも助かってよかったです。本当に。 けしからん、迷惑をかけた、税金を使った、二次災害が起きたらどうする、とおっしゃる方もおりますが、警察の捜索隊は二次災害の危険があれば出動しません。 (・・・そのはずです) 警察ヘリは基本無料ですが、そう何回も飛ばしてもらえません。 余分に探してほしい時は民間ヘリをチャーターします。 多分一回飛ばすと80〜100万円くらいかかる、と言われます。 他に、民間や地元の捜索隊(警察以外)を編成して派遣してもらうと実費や日当を請求されたり自主的に払ったりするそうです。 (ですのでそこらへん、遭難すると金かかる、と) そのボーダーの方達も「迷惑をかけて申し訳ない」と語ってましたが、捜索隊の方達は命があってよかった、とホッとしているはずです。 「遺体」を発見した時の無念は如何ばかり、かと・・・。 救いに行って「救われた」思い、ですよ・・・きっと。 登山の(事故の)方は、何人かが亡くなられたようですから。・・・ ま、しかし私はいろいろ怖いので冬山もコース外滑走もいたしませんが。 寒いしね。