いろいろスポ−ツイベントやってますねー。 体操とか陸上とか。 なかなか楽しみ。 ちょっと前までは高校野球もやってたし。 うちの仕事場ではダルビッシュ君が大人気♪でした。 (野球音痴のアシまで。) 「あの子きれい〜。」 「ハーフなんだ、どこの国と?」 「イランだって〜」 「なんて学校?」 「東北」 「だから東北のどこ?」 ・・・馬鹿なやつらめ・・・。 それにしても陸上の、民放のあのタレントうるさいね。あいかわらず。 競技中はいいけどスタジオにもどると音消したくなる。 でも競技は見たいし・・・。 競技を人質(?)に取られた気分だ。 シンプルな放送を我々に返せ!なんちゃって。 体操も楽しかったなあ。 私子供の頃、オリンピックで(ミュンヘンだったかな)塚原選手が鉄棒で「月面宙返り」を初披露(五輪で)したのをテレビの生放送(だったかな・・・)で見たよ。 前転して1回ひねって着地、一瞬何をしたのかよくわからなくて隣で見ていた父が「すごい、すごい!」と大騒ぎしてあらためて今のは凄い技だったんだ、と感激したっけ。 塚原選手があみだしたあの技は世界中に広まり、もうすっかり中学生もやるお馴染みの技になってしまった。 それどころか、あれはただの「C難度」になってしまって世界大会じゃみかけることも少ないんじゃないかなあ。 で、金メダルを取った鹿島選手は「伸身の月面」。 美しかったですねー。 来年のアテネの楽しみが増えた♪。 それにしても、ユニバやってるのにテレビは例の応援団ばっかり! あの国も選手は90人なのに応援は300人!だってさ。 韓国の人が喜ぶのはわかるけど日本のテレビがあそこまではしゃぐのはばっかみたい。 少しは選手映してやれよー。 新聞もテレビもまったく日本選手のこと放送しないじゃん! ひょっとして出場してなかったりして。 まあ、もともと大学世界選手権(ユニバ)なんて今まで放送してなかったっけ。 しかたないか・・・。 P.S ・・・そんなに美人かね...あの人たち。
夏子
冷夏ですね。 夏が来たかどうかわかんないうちに暦の上ではもう秋。 電力不足の今日このごろけっこうなことじゃあないですか。 気分だけは夏を、ということで恐い話でもしますか。 といっても恐い漫画のことだけど。 こういう雨の日には楳図かずお先生の短編、「雨女」(たしか・・・)という漫画を思い出す。 雨の降る日に留守番をしているとどこからか雨女という得体の知れない女が笑いながら(笑いながら、というのがまず恐い)がやってきて主人公の女の子をさらいに来る。 女の子は必死で逃げる。 特に説明もなくやってくるのが無気味である。 何度かさらいに来られては女の子はなんとか難を逃れていた。 しかしまた雨の日、お留守番、女の子は心底恐そうに「雨だ!また雨女がやってくる!!」と震える。 (楳図先生のあの絵、あのふきだしで!) そしてやっぱり雨女がやってきた。 女の子は必死で逃げる。 (家の中で追いかけられる、というのがリアルで恐い) ソファの下に隠れ、潜んでいる。 雨女は笑いながら女の子を探している。 まだ見つからない、無事やりすごしたか、ホッとしたとたんいきなり雨女の顔がソファの下の女の子の目の前に!! 「ぎゃっ」(楳図先生調で) とうとう女の子は雨女にさらわれてどこぞの空家に連れていかれてしまう。 だた、どうすることもなく女はただひたすら笑いながら女の子を抱きかかえている。 「ほほほほほほほほほ....」(楳図先生のあの書き文字) 幸い女の子は連れ去られて行く時ヘンゼルとグレーテルを思い出してアメ玉か何かを道々落としていったのでそれを手がかりに救出されるのだが。 どうやらその女は子供を亡くしておかしくなった女だった、というオチがついていたっけ。 オチはともかく、雨の日、どこからともなくナゾの女がさらいに来る、という図が子供のころすごく恐くて、雨の日に一人で家にいるのがいやだったなー。 アシさんたちに恐かった漫画、を尋ねると、 「『白い影法師』(美内すずえ先生)恐かったです。 二度と読むもんか、と思ったけれど単行本もってます。」 「それ、私も。机の下見るの恐かった。(わかる?)」 「タイトル忘れたけど、日野日出志の漫画。」 「私も小学生の時『地獄の子守唄』立ち読みしてまじ恐かった。 だって、最後のページにこの漫画を読んだ者は死ぬ、って書いてあったんだもんー!!!」 「山岸凉子の『ゆうれい談』かな。(と、指をさす。知ってる?)」 「山岸凉子なら『汐の声』もけっこういけますぜ。」 「楳図先生の『恐怖』って短編集だな。」 ・・・といった感じですね。楳図先生なら「モクメ」がかなり恐い。 (『ねがい』というタイトルの短編。) P.S 先日久しぶりに金縛りにあった。ちょっとこわかった。
先週、サッカ−解説や記事などで活躍中の羽中田昌氏にお会いしました。 30代以上のサッカーにちょっと詳しい人なら多分「羽中田君」の名前は知っているでしょうね。 そして彼が19才の時事故で損傷してサッカーはできなくなったことも。 実は「オフサイド」の五郎くんのモデルでもあるんですけど。 GKじゃないんだけど...。 (何度かあとがきなどに書いたことあります) まだ私が少年マガジンにデビューしたかどうか...とにかく少年漫画をどう描いていっていいのかよくわからなくて実家でポケーっとしてたころ、テレビで高校サッカ−選手権見たんですね。 82、83年ころだったか...。 そのとき画面の中で長い髪をなびかせて活躍する羽中田選手を見て、もう感動して、いつかこんな漫画が描けたら...。 当時の私にとって少年マガジンでサッカ−漫画を連載するなんて、だいそれた、夢のまた夢だったけれど。 「オフサイド」が始まったのは87年、テレビで羽中田君を見てから4、5年後。 あの感動を絶対漫画にしてやろう、と一所懸命その時のイメージをふくらませたものでした。 なにしろセルジオ越後氏いわく、高校サッカ−選手権で一番国立競技場が湧いたのは韮崎対清水東の決勝戦で羽中田昌が途中交代でピッチに姿を現した時だ、そうですから。 (私も見てた、それ) もちろんその後羽中田くんがサッカーできなくなった、ということも伝え聞いてました。 (ファンレターで教えてくれた子もいたし) そして90年代に入ってからいろいろなメディアで羽中田君の名前を目にするようになって、「ああ、やっぱりサッカーが彼を呼んだかな」と感慨深かったでした。 お会いしたのは8月7日、奇しくもこの日は20年前、彼がバイクで事故った日であるそうです。 「ぼくの、2度めの誕生日ですよ。」と笑って言えるまでどれほどの葛藤があったか...私の推測でもって言葉にするのは控えて。 今はコーチの資格取得勉強中だそうです。 実はスペイン(5年間暮らし、勉強した)でも日本でも1度は車椅子ではだめ、とその道を閉ざされたそうです。 その事を聞いて私「いや、彼なら規則を突き破るんじゃないかな」と思っていたらやっぱり突き破ったそうです。 「いや、もう一度お願いしたら案外簡単に。特例だって。」って羽中田君あっさりと。 彼の昔からのアイドルは「空飛ぶオランダ人・ヨハン クライフ」ですって。 クライフになぞらえて「空飛ぶ車椅子」って自分のことを称しています。 「道は開けたけれど、これからが大変。」と、飛びはじめた羽中田君に会えて本当にうれしかったのでした。 P.S 月曜日、木曽の御岳に登った。歌の通り夏でも寒かった。中乗りさん(酒)は飲まなかった。
ずっと梅雨が続いて今年は冷夏だ、ラッキー♪と思っていたらまあようやく先週末から夏になっちゃいましたね。 おかげで週末登山も久々にさわやかな夏山気分を満喫できました。 (このところずっと雨にたたられて・・・安達太良山とか) 長野側から苗場山、群馬丸沼高原から日光白根山に登り、どちらも見事なパノラマを眺められましたよ。 いやあ、久々、見事な展望でした。 そして風のさわやかなこと! 木陰はひんやり、頂上ではさわやかにふき渡り、これこそ夏山!です。 (ついでに黒いヒルを見た。高山植物が満開なのでどでかいみつ蜂も) 東京の猛暑に比べたらまさに天国と地獄ですよー。 それと気がついたのは宿で朝目覚めた時の朝のにおい。 夏のにおいか・・・。 いや、正確には「夏休みのにおい」だ。 山や風や木々のにおい、朝靄、朝露の水のにおい、あさがおやトマトや、それらが入り交じった、さわやか、というのがぴったりな瑞々しいにおいだ。 子供のころの夏休みの朝はこういうにおいがしたなあ、川崎でも。 あの頃は何の悩みもなかったし、宿題は全部はできてないけど夏休みはまだまだあきる程残っていたし・・・。 今程猛暑じゃなかったんだなあ、もう東京のマンションでは望むべくもないけど。 思いきって出かけてよかったなあ。 (実は出無精の私が。) 川崎フロンターレの広報のアマノ君は夏休みが3日だけ取れるのでどこかへ行きたいーって言ってたな。 せっかくの夏休み、どこにも行かないのはいやなんだって。 たとえ出かけて混んでいてくたくたに疲れても「休みどこか行った?」って聞かれて「いや、どこにも」って答えるのはかっこ悪いし寂しいんだって。 アマノ君どこか行かれたかな? P.S なお、苗場山の登山口へ向かう林道の途中で何やら横切る黒い物体が。 どうやら熊(小熊?)だったらしい。 ひや〜。