「ふざけた神様」
ジブリアニメの「かぐや姫」観ました。(テレビで) 感想は・・・・ううむ。 元々がおとぎ話の「かぐや姫」なので、さして期待もしてなかったので・・・・ まあ想像通りというか。 うん、さすがに絵は素晴らしいと思う。 完璧なデッサンのもとで一本一本がすべて完璧な、生き生きとした描線。 美術監督(背景の絵)はかの「トトロの森」を描いた男鹿和男氏。 なのでそりゃもうすべてが完璧、さぞかし軽やかに筆を動かしたんだろうなあ。 ちゃちゃちゃっ、ささーーっ、ううう、ぐぐいっ、っと。 頭に浮かぶ、筆の動き、画用紙に水をはり、その水が乾くか乾かないかのうちに(2,3分か?)8割がた絵具をのせていく、まるで楽器を弾くようにリズムにのせて。 そりゃもう名人芸、というか。 ちなみに男鹿和男氏は私の「兄弟子」にあたるのだ。 昔、漫画家になる前にアニメの背景を描くスタジオにいたので、そこのスタジオの社長さんが男鹿さんとかつて同僚だった。 ですから同じ系列の画風なので、スタジオは違うけど男鹿さんは私のセンパイにあたるのだ。 つまり兄弟子、と。 うふふ。 何度か面識もあります。 絵をいただいたこともある・・・。 当時からそりゃもう「神」レベル・・・。 と、脱線しちゃった。 で、「かぐや姫」ね。 絵はすばらしいのよ。 特に子供の造形なんか、すごくリアルで。 姫の付き人の女の子の顔とか動きとか、すごくおもしろかった。 でもその割には肝心のかぐや姫が、あんまり可愛くなかった。 絶世の美女にはとても見えなかった。 捨て丸兄ちゃん、のヴィジュアルもちょっと???だったし。 (髪型も変だ。くせっ毛か?) 求婚者の殿方も、どいつもこいつもみんなすけべでブサイクなおっさん。 あれじゃどんな女子でも結婚なんか絶対ヤダろうよ。 声優はね、ジブリにしてはまともな、というか。 特別上手ともヘタとも・・・。 とにかく絵は素晴らしいの。 さすがジブリ、さすがの高畑監督、さすがの世界最高峰のアニメ制作集団、凄腕の職人の集まり、すべての描線が完璧で、すごく勉強になります。 でもさあ。 どんなに凄くても、なんか「下描き」見せられているみたいだった。 途中、というか。 絵コンテのまま、というか。 色も、日本風といえば聞こえはいいけどなんか絵具ケチっているみたいでさ。 薄塗りにもほどがあるだろ。 かえって、「うまさ」が鼻につく、というか。 「俺たち、上手いだろう」 「どうだ、鉛筆描きてのはいい味だろう」って見せつけられているみたいで少々うんざりした。 (5分くらいなら新鮮だけど・・・) そして中身は・・・。 結局この月の御姫様がなんで地球に来たのかよくわからなかったなあ。 竹取の翁と媼の下に現れて、愛情深く育てられ、捨て丸兄ちゃんや子供達と楽しく日々を過ごして、でもよい殿方に見初められるために上洛(?)して。 で、その殿方たちには思わせぶりをして、無理難題をふっかけ・・・。 元々結婚する気なんかないくせに。 かと言って捨て丸兄ちゃんたちのところへ何がなんでももどりたい、というわけでもなく、結局月へお帰りに。 お父さんも含めて男をたぶらかせるためだけに、地球に来たわけ? なんなんだろうね、この話。 多分この姫さんは、「神様」一族なのよね。 神様一族から見れば、人間なんてただのうぞうむぞうに過ぎず。 でも神様というのは、そうだよね。 すべからく「与えてから奪う」のよね。 老夫婦に「子供」を与えて、奪う。 捨て丸兄ちゃん&子供達に「かけがえのない子供時代の思い出」を与えて、奪う。 求婚者の殿方どもには「絶世の美女と結婚できるかも」という夢を与えて、奪う。 たくさんの「思い出」を与えて、それがすばらしければすばらしいほど、奪われた時の喪失感、寂しさはいかばかりか。 多分、それが人生そのものなのだから、ネガティブな部分も含めて幸せなのだから乗り越えて生きていけ、という矜持かね。 まず「命」を与え、そしていずれ奪う。 「若さ」を与え、「恋」や「夢」を与え、「美貌」を与え・・・られてないどー、あ、そしたら奪われる事はないわけね、よかったー・・・・ いや、ほしかった・・・涙。笑。 う〜ん、いい気なもんだな、神様っていうのは。 勝手でわがままで・・・ 何様だ・・・ あ、神様か。 そしてきっと完璧に美しいんだよね。 望んでも結局は得られない、でも仰ぎ見て、尊べ、と。 人間どもは、そうして一生懸命生きていけ、と高見の見物をなさってらっしゃるのよ。 神様ってひどい・・・。 神様曰く、 「人間は、与えすぎるとつけあがるからね、そりゃ時々こっちも匙加減まち がえて奪い過ぎちゃうこともあるけどね。悪ィ!」 それで済ますかい!? おとぎ話ってそういうシンプルで、でもミステリーで残酷な物語構成ですよね、しばしば。 浦島太郎とか。 なんで「開けちゃいけない」玉手箱渡すのよ・・・。 いけない、って言われれば開けたくなるでしょ・・・ つまり「開けなさい」って意味よね。 で、浦島太郎は白髪のお爺さんに。 竜宮城で遊んでいたツケを払わされるわけ。 そりゃツケはね、払わないとね・・・。 勝手だなあ、ここでも。 最初に言ってくれていたらあそこまで長々と遊ばなかったよー!と言いたいかな、浦島太郎としては。 人間よ、苦しめ、そして学べ、ちゅうのかな。 まったく始末が悪いね、神様というのは。 なかなかシュールなアニメでした。 でもこれじゃオスカーは獲れないわね。 アメリカ人の一番嫌うラストだもの。 アメリカ人好みにするならかぐや姫は月に帰らない、生まれ変わって、捨て丸兄ちゃんと結婚しておじいちゃんおばあちゃん、たくさんの子供に囲まれて末永く幸せに暮らしましたとさ、でないとね。 大家族か・・・ 大草原の小さな家、的な。 それにあの「芸術的だけど、でも下描き」ではベイマックスにはかなわないし。 P.S 先週末、新潟のかぐら(かぐや、ではない・・・)スキー場で滑る。 今シーズン最高か?というコンディション、で滑りまくる。 春の風がひんやり心地よく、最高に気持ちよかったどー。 宿で、朝ごはんの残りで作らせてもらったおにぎりがこれまた最高。 いやいや新潟万歳。
夏子
「旅立ちの季節か・・・」
3月、卒業やら就職やら、いろいろ心機一転な季節ですね。 (私は直接は何も関係ないけれど) 友人の子供もぼちぼちとそんな報告も。 新潟の友人は、少し前になるけど長女の大学入試の時のこと。 直前で長女が熱を出してしまい、心配して入試の行われる関西方面の大学まで付いて行く予定にしていたそうな。 幸い、当日までに熱は下がり、受験に向かう新幹線のホームでその娘さんが、 「大丈夫みたいだからお母さん、ついてきてくれなくてもいいよ」とさらっと一人で電車に乗り、お母さん(友人)は、 「そうなの?じゃがんばってね」と見送り手を少し振る、出てゆく新幹線。 プラットホームに一人たたずむ友人、そのせつな、 「あ、あの子一人で行ったんだ。今子育て終わったんだな」と何かずん、と心に響くものがあった、そうだ。 また、別の知人(男性)は、昨年息子さんが二人、大学生となり、大学近くに下宿とかアパート借りたりしてそれぞれ別々に自活する事になった。 その時はさほど感じる事もなかったけれど、夏に息子さんが帰省して、そして帰る時、 「あ、こいつら帰っちゃうんだ、自分の部屋へもどっていくのか・・・ 今までずっと一緒に暮らして、同じ屋根の下で寝て、起きて学校へ 行っていたのに。 ここじゃない場所へ帰って行くのか・・・」と、その時初めてたまらなく淋しかったそうな。 親の気持ちは推測するしかないけれど、子供の気持ちならわかる。 私ももうン十年も前に家を出たっけな。 私は一人暮らしが楽しみで楽しみで、さっぱりしたもんだった。 でもあの日の事はよく覚えているけどね。 大した荷物もなかったけど一応2トントラックを頼み、布団やら机やら、ベッドやらを運ぶ。 荷物の中に大きな鏡もあって。 その頃母親と距離を取りたがる年頃なもんで、母の方も私に対してはなんとなくよそよそしいというか、怒ってばかりというか。 で、母が、 「鏡はどこへ入れたの!?ああいうものはね、こうして布団袋の中に入れるものなのよっ、まったくおまえは何も知らないんだからっ」って その日もそんな感じでピリピリしてる・・・ やだなあ、でももうこんなうるさいおっかさんとは離れ離れだ、せいせいするわ・・・なんて。 運転手さんもテキパキと荷物を運ぶ、そして大きな布団を積む時、 「この中に何か入れてませんね?」すると母、得意げに 「鏡を入れております」 「それはいけねえ、鏡みたいなもんは、こうして堅いところにぴったり付けて積まね えと。」 と言って、鏡をタンスか何かの間にぴっちりと挟んで収納した。 その時の母は・・・。 「え、そうなんですか・・・・」とバツがわるそうにしょんぼりしてたっけな。 その時期母と仲があまり良くなかったとはいえ、さすがにこの時はちょっと母が可哀そうな気がしたもんだ。 可笑しいというか可愛いというか。 くすっ。 あの時トラックを見送った母の気持ちはいかばかりか。 子供の方(私、ね)はさほど感傷もなく・・・。 ま、3,4か月で一人暮らしにネをあげて戻っちゃったけどね。苦笑。 家を出たりもどったりを2,3回ほど繰り返して、そのうち漫画家になり、完全に家を出た。 まるで鳥が何度も飛行訓練を繰り返して、ようやく一人前に巣立ちをしていくのに似てるかな。 もう戻ること(実家に住む、という意味)はないだろう。 今いる部屋が私のお家だ。 親は心配はいかばかりか。 でも多分子供の方は親ほどに感じちゃいないものですよ、きっと。 子供は怖い物知らずで思慮浅く、たくましく。 親の心は子が思うよりずっと深い、ということか・・・・。 今でも時々実家に帰り、母に会いに行き、そして自分の家に帰る。 母には「出て、見送らなくていいよ」と言う。 母は特別寒くなかったり暑くなかったりすれば気まぐれに見送ってくれる。 私はその時振り返らないようにしている。 やはり小さくなっていく母の姿を見るのは、なんか「ツン」と響くものがある。・・・・ どちらであれ、せつなくそして清々しい。
「日の丸を背負う」
サッカー代表監督がどうやら決まりそうですね。 よく知らないのですが、昨年のW杯でアルジェリアの監督を務め、グループリーグで優勝国のドイツを苦しめた、と聞いて何となく思い出したわ。 ああ、あのノイアー(ドイツのGK)が奮闘した試合、あれかあ。 あれなら覚えているかな・・・ 確か、おもしろい試合だった・・・。 日本代表チームによい結果をもたらしてくれるといいな。 ここでも何度かサッカー協会に対する不満とか、なぜ日本人監督じゃいけないの?と疑問も書いた。 でも、少し離れて考えてみる。 外国人監督のメリットとは? 何となく思うのだけれど、日本人監督は世界に出ると、いろいろ背負ってしまうのではないか? 国内やアジアとかなら実力を発揮できて、結果も出せる。 でも、五輪やW杯の大舞台に立った時、本来日本人の美徳であるはずの責任感みたいなものが悪い方に出てしまったりはしないか? 注目も影響もかかわるカネもけた違いだし。 そして日の丸を背負う・・・ この一言にしばられる。 「日の丸」 時に、背負いすぎる。 自分で重くしてしまうのか?実際すごく重いのか? 重いんだろうな。 きっと、想像以上に。 これが外国人監督なら、「日の丸」を、日本人ほど重くは受け止めないだろう。 いい意味で事務的な、国旗としてのみの重さだけを背負うのかも。 (旗自体の重みは50グラムくらいだろうか?少し前の映画で「21グラム」と いうのがあったけど、21グラムというは映画の中では魂の重み、らしい… 7グラム、という説もある・・・ 10ccというバンドがあったが、一回の涼が2ccで、メンバー5人なので 掛ける事の・・・脱線) ぶっちゃけて言えば、負けてもそんなに情緒的には責任は感じないかも。 自分のプライドにかかる重さのみ、ビジネスとしての失敗のみを事務的(?)に受け止め、処理し、 「次、次!」と切り替えられるのかな。 (そりゃ失敗すれば次によいオファーは望めないにしても何も来ない事もないけど・・・) もう20年以上前のドーハの「悲劇」の時。 あの時は、選手も監督もメディアも、スタジアムに居たサポも、全員一人残らず普通のメンタルじゃなかった。 「初めてW杯に出られる・・・!!」事の重みで心身共に金縛りになっていた。 選手の足はスローモーションみたいに重く、ボールは定まらず、信じられないミスを繰り返していた。 冷静なはずの記者さん達も興奮していた(と後で聞く)。 オフト監督も舞い上がっていたらしい。 もしも冷静だったら、あのロスタイムで普通に「時間稼ぎ」とかしたはず。 私も怖くて眼を半分覆っていた・・・。 プレッシャーの全然ないイラクにのびのびとプレーされたら敵うはずもなかった。 実際、後半は自陣に追い込まれっぱなしだった(記憶が・・・)。 あれは普通じゃなかった・・・ 多分いつもの日本代表だったらきっと勝てていた・・・はず。 あの時誰か一人でも冷静だったら。 冷静に、あのロスタイムで「攻めなくていい、ボールを保持していれば!」と言ってくれてたら。 (ポゼッションっていうのかな?そんな言葉当時は知らなかったよ!!・・・) すでに本場ブラジルでプロとして活躍し、あの中で一番世界経験のあるカズですらおかしかった・・・ラモスも。 彼らだからこそ?か・・・。 みんな、一人残らず「初めてのW杯」を肩に背負っていまっていた・・・。 金縛りだ・・・。 経験、ってこういう事かな、と今改めて思う。 サッカー協会が呪文のように繰り返す、世界での(W杯での)経験値。 メンタルの強さ・・・ 言いかえると考えすぎない程度の切り替える力、忘れる力。 ある意味鈍感力、物事を実際以上に重くしない、いい意味の軽さ。 こういう面ではどうも日本人、って一歩劣るかも。 情緒的すぎるんだ、よくも悪くも。 メディアもそこの面を強調したがる。 あ、漫画なんかそこ(情緒)がすべて、だもんな。苦笑。 「この選手はこれだけの努力をしたからチャンスをやりたい」とか「きっとやってくれるはず」とかもろもろのしがらみで、ベテランを切るに切れないとか。 (野球の監督とか、って長らくそんなイメージだったっけな) 悪く言えば、「浪花節」的、な。 あ、漫画なんかそれがすべて・・・苦笑。 その点、外国人監督さんならドライに割り切ってくれるだろうね。 最悪、負けても選手のせいにできるし。苦笑。 (「フィジカルで劣っていた」って敗戦の弁を述べた監督さんもいたっけね) ハンドボールの宮崎大輔選手も外国人選手は切り替え早い、って言ってた。 一勝も一敗も、それはそれ、これはこれ、と。 とりわけ日本人は1ゴールの重みを区別したがる。 「きれいなシュート」「流れからのシュート」、とか。 だから「ごっつあんゴール」なんて単語が今でもたまに聞かれる・・・。 1点は1点、と割り切れない・・・ そのくせ「結果がすべて」の言葉だけがまかりとおる・・・ たいてい負けた時に聞かれるけど。 ある意味「軽さ」が、必要なのかも。 世界の舞台に立った時は。 ただでさえ(責任は)重いんだから、それ以上背負わせないでくれ、と。 ザック前々監督は、情緒的だったので日本人に好かれていた。 だから、極限状況に追い込まれた時も何か余分に背負ってくれていた肩や背中が重かったかな。 世界の名監督(年棒10億円の超一流クラス、ね)はそういうとこ、多分違うんだろうね。 いい意味でエゴイスト、選手の立場を考えてばかりはいられない、時には非情に徹し、容赦なく人間を切り捨て、嫌われる事を恐れない鉄のメンタル・・・。 いっそ「ロボット監督」はどうだろう。・・・ 次の監督さんがどういう方向なのかはもちろんわからないし、アギーレ前監督さんがどうだったのかは短すぎて結局わからなかったし、サッカー協会の責任論もうやむやですが・・・。 最近漠然と思うのは、そのサッカー協会も、言われるほど悪くはないのかもしれません。 と言うより、他よりましなのかも。 ほら、数年前、自民党に不満があって、民主党に政権が移ったけど、結局口ほどじゃなくてがっかりしたでしょ。 あんな感じ。 例えば辛口で知られる評論家の人達に「じゃやってみて」と舵をまかせたらどうなることになるか? 現実の「経験」を1から積み始めるか? 言うのとやるのとでは大違いだろう・・・多分。 何となく、FIFAとかも、言われているほど公正じゃない気がするし・・・ いやもっともっとずぶずぶでしょ、多分。苦笑。 (カタールW杯はどうなったんだ・・・その前にロシアだよ。うひゃあ) だから最近はあまりサッカーに対する関心が薄れてきちゃった。 あきらめ、というか。 自分一人で怒ったところで・・・という無力感。 どうでもいいや、なるようになるだろ、というあきらめか?達観?じゃないな・・・。 だいたい、実力以上の結果、って出ないんだよ・・・。 それは寂しいことではあるのだけれど・・・。 いや、まったく。
P.S んでもって、最近の関心はもっぱらWWEだったりして。 ローマン・レインズ?♪ ああ、なんという単純な筋書よ、まるでひとふで書き。笑。
また川崎のイメージが悪くなっちゃうなあ・・・・てな事件。 容疑者の言い訳があんまり稚拙な割に、した事のひどさのギャップに溜息。 それと、現場に増えていく花やお菓子に違和感も。 「こうなる前に何かできなかったか、と・・・」と、手を合わせる人の気持ちはわかるけどどうなんだろう? 私ならどうしただろうな? 正直、夜中とかに不良っぽい少年グループがたむろしていたら絶対近寄らない。 回り道するか、仕方なく通る時は眼とか合わせないようにして足早に通り過ぎる。 小学生くらいならともかく、注意するなんて・・・できようもない。 万が一、いじめっぽい、とか犯罪の雰囲気を感じたら、家に帰ってから警察に通報する。 (したこともある) 絶対かかわりたくない・・・。 注意なんかしようものなら、そういうガキどもがなんて言いかえしてくるか、想像がつくもの。 「うるせえ、ババァ!」 「かんけーねえだろっ」 「うぜえんだよ!」といったところか。 そう、関係ない馬鹿な奴のために、注意なんかしてやるものか。 罵詈雑言なんて聞きたくもないし。 一度、街中で偶然そういう事言われてびっくりしたことあったけど(別に注意したわけではない) 後ではらわたが煮えくり返るほど悔しかったし殺意すら抱いた・・・笑。 仕方ない、あれはただ馬鹿なだけのくだらない、関係のない人間だ、どうせ ろくな人生を歩むものか・・・と怒りを鎮めたっけな。 クソ、思い出しちまった・・・笑。 昔から一部の男子、ってそうだった。 口じゃ、頭じゃかなわないものだからすぐ大声を出してスゴんだりする。 そのくせ一人じゃ何もできず、たいてい群れていて。 (暴走族とかツッパリとかも同じ理由できらいだったな・・・ 同じ理由で暴力系漫画もきらいだ) WWEは好き♪あれはプロレス、暴力じゃない・・・あ、関係ないか。 女子とか下級生とか弱い奴にはいばり、自分より強い奴には小さくなってる。 ははは、中学の時のYとかWとかの顔思い出しちまったよ。 おーい、あれからウン十年、どうしてるかい? 私はおまえらが大嫌いだったよー、なんちって。笑。 でも殺されちゃった男の子はかわいそうだね。 それは心からそう思う・・・。 もしも私がその場にいたら・・・ う〜ん、怖いからやっぱり家に帰ってから警察に通報するかな。 それしかできないかな。 でも多分、「民事不介入」とか、本人が訴えない限り、事件にはならないかな・・・。 下手に仲裁が入って、何も解決しなかった場合、刃は多分一番弱い子(あの子?)に向うんだろうな。 (実際今回そうだったみたいだ) 犬を檻に入れて、出ようとすると電気ショックを与える実験を繰り返すと、たとえ檻が開いていても、犬は逃げようとしなくなるらしい。 あの子も、絶え間ない暴力の中で絶望し、もう気力がなくなっていたかもしれない・・・・。 むごくて、かわいそうだ。・・・ 最初、首を切ったのは例の、「椅子椅子」の影響?と報じられていた。 真相はまだわからないけど、私もそうなのかな?と思った。 でも本当は逆だと思う。 少年が椅子椅子をまねたのではなく、椅子椅子のアイツの精神構造が10代の彼らと同じなだけだ。 よくもジャーナリストを殺したな、卑怯者の分際で。 まともには相手にされず、凶器を持たなければ何もできない小者。 身体一つで戦ってみろ、できやしないだろう。 白鳳なんかハダカで強いぞ、ローマン・レインズのスピアーでもくらえ! (あ、知りません?WWEの・・・) ・・・でもここでそう叫んだところで届かない。 しょせんナイフやカラシニコフにはかなわない。 暴力は卑怯だ、でも怖いし、かなわない。 悔しい。 すごく悔しい。 P.S 土曜日近場のゲレンデでスノーボード中、子供をよけようとして転び、 ケツを打ちました。 そんときはすごく痛かったけどただの打ち身のようで、やっかいな怪我 ではなさそう。 尻パッドしてたし。 不幸中の幸い。 まだちょっと痛い。 くすん。