「斜里岳の呪い2」 先週の続き。 1日目、登山口を間違え5時間歩いて結局頂上には行かれず、日程を変更して翌日もう一度チャレンジしたんでした。 「あれ、また来たの?」と山小屋のおじさんに笑われた。 昨日道に迷ったことを説明し、正しい道を教えてもらう。 「へー、二の沢に行っちゃったの、あそこは大変だよ(大変でした) ほとんどまっすぐだよ、まっすぐ。」 「はい、わかりました。まっすぐですね。」 リベンジを誓って出発。 昨日歩いたばかりの道を行く・・・ 40分ほどで昨日曲がり間違えた分岐に着く。 今日こそは間違えるものか・・・ 間違えるわけがない・・・ まっすぐ、ひたすらまっすぐ・・・ だんだん急斜面になる・・・ 雪渓だ・・・ 滑ったら下まで結構滑って行っちゃうな・・・ 昨日会ったおばちゃんたちはこんなとこを登ったのかな・・・ すごいなあ、最近のおばちゃんは・・・ そして、そしてとうとう滝に出てしまう。 ロープも鎖もない。これは絶対登れない。 !!! そう、また道を間違えたのだ! あほだ、あほとののしってくれ... うわーん。 まっすぐだ、って言うからまっすぐ来たのに・・・。 あとで聞くと左に入る道があってテープがあるけど見落とさないように、とのこと。 聞いてないよーーー! 2時間のロス。 仕方がないので分岐に戻り、もう一つの迂回路(楽だけど時間がかかる)をおとなしく登り直す。 しくしく。 で、計8時間かけて無事登頂を果たしたんでした。 あとでまた山小屋のおじちゃんに 「また間違えたの?で、今日も登れなかったの?え、登れた?ふーん。」 まさか間違えるのを喜んでいるわけはないけど笑われちゃったよ。 なんか同じ山を3回登った気分だったなあ。 斜里岳恐るべし。
夏子
「斜里岳の呪い」 先週末北海道は斜里岳に登ってきたんですが・・・・ あんな目にあったのは初めてでした。 まるで呪いです。 何かというと、ルートを間違えて引き返して、結局二日かかりで登ったのでした。 おまけにあぶにも何ケ所も刺されて痒いわ痛いわ。 今年の斜里岳は残雪が多く、雪解け水で沢の水量もかなり多かったんでした。 本来、山道には赤いテープや立て札などがそこここにあって、道に迷わないように整備されています。 ところが多めの残雪がそれらの多くを隠してしまっていたんでした。 分岐がわかりにくく、先行者の足跡をたよりに登り始めたのですが、早々に間違えてしまったことに気がつかず、少し不信に思いながらもどんどん先を行ってしまいました。 「ありゃりゃー、どうも道がなくなっちゃったよー」 かなりの急斜面、補助ロープもなく、沢の岩には苔がつき、どうも誰かが歩いたような跡がない。 これはもう道じゃないな、間違えたようだな、とわかったんですが見上げると尾根が割とすぐそこに見えている。 尾根まで行けばきっとなにがしかの道に出るはず・・・。 しかたない、ブッシュをくぐろう! 急斜面、下ることはできない、もう登るしかない。 尾根に出れば、尾根にさえ出ればなんとかなる・・・ 虫に刺されるわ、擦り傷はできるわ、そう思って道なき道を、ブッシュをかきわけて狼少年ケンのように必死で登ったんでした。 そしてようやく尾根には出たけれど・・・ そこに道はなかったんでした!! 「うそでしょーーー!!!」と叫んでもどうにもならない。 あの時の絶望感。 「遭難」という言葉が頭をよぎる。 あの恐怖。 「うひゃーーーー・・・・」 しかし、もうそこまで事態がいくとかえって胆がすわるものだ。 もう下るしかないじゃん! 2時間道に迷ったら今日はもう中止だ、やめ、やめ!帰るっぺ! 帰るしかないさ! そう思うと元気が出てきて下りれないはずの急斜面もブッシュにつかまりながらなんとか下りれたのでしたっ。 (いやほとんどお尻で滑り下りたような) しかたがないので明日また登り直すことにしよう、さすがに明日は道を間違えることもあるまい・・・。 ところが・・・ ところが斜里岳の呪いはまだ続くのでした・・・・。 続きは来週。
「カッタ−ナイフの女の子・・・」 またまた例の事件について...。 加害少女A子さんの描いた絵がいろいろ分析されてますね。 あの絵、うまいのかへたなのか、判断がつかなくてさ。 うまい、っていう人もいるけど、私はへたくそ、と思ったなあ。 と言ったら「そりゃ社長に比べたら」ってアシさんたちに言われて。 助っ人アシのO君が「おれの方がうまい」だと。 おまえよりうまかったらおまえが困るだろが。 専門家が「目の大きいのはうんぬん」とか「黒い髪はうんぬん」とか分析してるけど、まったく今どきのよくある絵に見えましたけどね。 そんなんで分析なんてできるのかね。 心配。 でもさ、絵で性格とか人格とか判断されちゃたまらないなあ。 私なんかなんていわれるだろう。 やっぱり「すけべ」とか「自意識過剰」とか「神経質」とかいわれちゃうのかな。 もっとも漫画家なんてみんなすけべだけどね。 だいたい「絵」に描くなんてすけべですよ。 「写真」に撮る、とかじゃなくて「絵」だよ。 どうして絵に描くとすけべかっていうと、絵に描く行為自体が「自分のモノにする」「自分のモノにしたい」って願望の現れだからね。 こつこつ絵で表す・・・その時間・・・至福の時・・・ほとんど自慰行為。 あああ、すけべ〜〜。 恥ずかし〜、いやあ〜見ないで〜ううん、見て見て〜・・・ どっちだよ、この変態が・・・。 描くすけべに見るすけべ、同じすけべなら・・・。 稼がにゃ損そん。 みんなすけべだよなあ。 私か。 ま、仕事ですから。 漫画家、って幸せだな、すけべが職業になって。 P.S 何回「すけべ」って言っただろう。
「カッターナイフで・・・」 仕事柄年中手にしているカッタ−ナイフで頸動脈切れるのか・・・。 ショック。 例の事件聞いて、ああ、またか・・・と思った。 加害者の少女、将来の夢が「漫画家」とか「小説家」。 自分の小さい頃と似てるなあ、感受性が強くて自己顕示欲が強くて。作家体質。 なんとなくわかる、でも絶対わからないのが刃物に対する感覚。 よく刃物で人間の皮膚切れるよなあ。 想像しただけでゾーっとしちゃう。 子供の頃は今程じゃないけど、でもやっぱり刃物は恐かったなあ。 私の左手には3、4個の刃物の傷跡があるけどさ、全部工作の時間に彫刻刀かなんかであやまって切っちゃったやつ。 ついうっかり自分の手切っちゃって、血がばーっとでて、あわてておさえて、痛いよりショックの方が強くて、バンドエイドつけてたら1日くらいでくっついて・・・。 そんなことを何回かくり返しているうちに刃物持つ右手は注意深く、緊張するようになって。 そういう経験あの子、したことなかったのかあ。 でなけりゃあれほどまでに短絡的に切れないでしょうに・・・。 人間の首を。 刃物に対する基本的な感覚、嫌悪感や畏敬の念がかけ落ちていたのかと思う。 誰も教えないんだろうけどね。 アシのみんなと話していて、 「やっぱり、カエルとか魚の解剖、学校でやるべきだと思います。」 と、そう言ったのは一番そういうのに「キャー」と言いそうなO村さんでした。 同感です。
「あるバイトの話」 掲示板の「りゑさん」へのレスです。 ひゃあ〜、懐かしい。 新宿の店、って東口の場外馬券売り場の近くの喫茶店「S」のことかしら。 もう20年以上も前、まだ19か20で、大学をさぼり始めてブラブラしてた時だよ。 不思議と新宿の店はいやな思い出はほとんどないの。 (その前の渋谷ではクビになったりとかあったから) 店長さんって誰だろう? Oマネージャーか当時主任だったSさんか駅ビル店の店長さんか・・・名前はうろ覚えだけど顔はみんな憶えてる。 そうか、私のことを憶えてくれているのか・・・・。 そういえば店には必ずサンデーとマガジンが発売日においてあったな。 店のユニフォームのワンピースが全然似合わない芋娘だった私に、みんな「普通」に接してくれたなあ。 懐かしい・・・・。 あの店はギャラもよかったし居心地がよかったのでついつい長居(1年半くらいかなあ)をしてしまった。 でもある時、このままじゃいけない、漫画描かなきゃ、って思いきってやめたんだっけな。 (そのあと金銭的にはキビしくなったけど) その時の自分が決断したことに満足していたので、だからたぶん今でもすがすがしい思い出として私の記憶に残っているんでしょう。 (やっぱりさ、クビとかでやめたりするのと違って) 懐かしい、と同時に遠い昔の話で、今訪ねて行こう、とは思いませんが当時の人たちが私をそう思ってくれている、というだけでほんとにほんとにうれしいです、と伝えて下さい。 たまに新宿でお店を見かけることもありますよ。 あ、まだ「S」がある、と思ったりて。 (卒業した小学校を見る感じに似てますね。) あ、店の造りは変わってないや、とかバイトの人は当然変わってるや、とか。 友人や編集さんに「私、昔ここでバイトしてたんだよ。」なんて言いながらね。 20才そこそこの、自分の人生の方向がまだ見つからず、そのくせ漫画家になりたい、と望みばかり高かったみっともない芋娘をいとおしく思い出したりするのであります。 P.S 当時もネズミ講の奴らいたよ、同じメンツだったりして。しょうもない・・・。