ふふふふ。 先日私生まれて初めて「資格」を取りました。 なんと「防火管理者」。 しぶいでしょ。 建物の火災の予防や消火活動を管理・指導するえらい人のことです。 昨年の新宿のビル火災でその辺の規制が厳しくなったんですってね。 私のマンションでも誰か1人、この資格を取らなければイケナイ、ってんでナゼだか私になったんです。 (ヒマじゃねーつぅのに・・・) で、行ってきました。講習2日。 9時から5時までみっちり。 (20年近くもマイペースで仕事してきた身にはつらいのなんのって。じっとすわっているのが。) 受け付けをすませ(なんと3年前の証明写真をそのまま使用するズーズーしさ)講堂に入ると、それぞれの机に教材がずっしり。 一生読むことはないようなぶ厚い火災に対する法令集、火災の実例集、おびただしい焼死体の写真・・・これはウソ・・・「め組の大吾」全巻・・・ウソだってば・・・、消化器の使い方、避難・誘導のあらまし・・・etc。 マッチの火にてんぷら油をかけると火は消える(*) ・・・とか内容はおもしろかったけど、とにかく眠い。 でも、まわりはかなり真剣で、いねむりなどできず。 (30代〜40代などわりと若い人もいた。) 学生時代を思い出す。 先生たちも気を使って休みをとったりしてくれたけど、とにかくこらえた2日間。 無事、資格を取得! もっとも全員取れたけど。 ちなみに、最後の試験で満点をとった。 ちょっとうれしい。 ちょっと物知りになったけど、皆様にひとこと。 ふだんから防火対策をやっておけば(消化器の設置、点検、避難訓練など)、万一不注意で火災をだしたとしても、賠償責任は問われないので、きちんとやっておこうね! 火の用心、カチカチ。 (ああ、冬) P.S *油はそれ自体が燃えるのではなく、気化した蒸気が酸素と混じって燃えるんだって。 ただし、400°以上になると、」自然発火するそうです。 へえ〜。
なつこ
「ROAD」終わっちゃいましたね。 だからというわけではないけれど、ふふふ、 先週の土、日と初滑りをしてきました。 群馬県、谷川岳の天神平スキ−場。今年は雪が早いのでね。 今筋肉痛で結構くたくた。はあ。 一日目、天神平で滑りました。 そこは標高が高いので雪質はいいんだけどゲレンデが短いし難しくて。 ほとんどが中、上級者用で。 (おまけにさあ、滑ろうって段でスノーボードのバインディングのバックルが1個なくなっちゃってて。あわてて売店で買ったんだけど。ちゃんと点検しておかなきゃね。) 初滑りにはちょっときついなあ、と思っていたらその夜のテレビのニュースで割と近くの新潟、湯沢のスキ−場もオープンした、っていうんで速効、翌日車で1時間ほどの「かぐらみつまたスキ−場」に行っちゃいました。 いやー、ここはアタリでしたね♪ 11月とは思えない雪質、量でもうビュンビュン滑ってきちゃいましたよ。 あ〜、おもしろかったあ。 板を新調したばっかりで天神ではけっこう腰抜けでへたくそだったのが「かぐら」ではかなりいい気分で飛ばしましたよー。 ほほほ。 日曜なのでスキ−客の方が多いかな、と思ったら意外にも8割方スノーボード。 スキーは少数。 かぐらのような大きいスキ−場ではめずらしいなあと。 少しでも早く滑りたい、っていうフリークはボード派の方が多いのかな。 ちなみに若い人が多いのであんまりお金持ってなさそう。 (わはは、未確認!) 担当はまた怪我をするんじゃないか、といやな顔している。(心配か...) 威勢のいいことをいってるけど私ももう二度と骨折したくはないのでけっこう安全運転で滑っていますのでどなたさまも御安心を。 ( アシは「折るんなら足にしてくれ」だと。) P.S 今は12月〆きりの「漫画の描き方」と次回作の企画やっています。 遊んでばかりいるわけじゃないのよ。
「恐れ多くも皇后様の話。」 美智子皇后様が御生家の正田邸の保存を固辞されたとの事。 残そうとする人たちの気持ちはありがたいが両親の意向を考えるとやはりなくす方が・・・と。 私ちょっと感動してしましました。皇后様に。 たぶん自分にかかわることでお金がかかったり、国に対して反対運動とか起きたりするのは本意じゃないんだろうな。 自分の事でなぞ争わないでほしい、と。 (私の勝手な推測) 確かに歴史的建造物で文化的価値ははかりしれないかもしれない。 でもそれも重々承知した上で、なお。 御両親を静かに眠らせてあげたいのか・・・。(だいたい正田邸は正田家のものだし。) 文化遺産になっちゃうともう公の持ち物、みんなの物になるってことだからね。 もう、きれいになくして、何もかも思い出だけになさりたいのか・・・。 皇后様は皇室に嫁がれて公人(っていうのかな?)になられた。 御両親との関係も一切(かな?)断ち切られることになっただろう。 今、建物がなくなることで「正田邸」は思い出の中でのみ存在することになる。 御両親はようやく思い出の中で娘に「正田美智子」に会えるのなら。 やっと美智子様の思い出が美智子様に帰ってくるのなら・・・。 取り壊すのもいいのかなあ、と思う。 子供の頃の思い出は誰も手がふれられない、自分だけのもの。 それがたとえ皇后様でもたとえ歴史的価値のあるものでも、やたらに「みんなのもの」にしてはいけないかな、と思いました。 まあ、形には残らなくても、形で残らないからこそ心の中で 鮮やかに蘇る。思い出の不思議。 先週の続きみたいね。 P.S 使い慣れない固い文章になってしまいました。
「記憶の不思議」 子供の頃、よく電車で一時間くらいの祖母の家に遊びに行ったものです。 いとこたちと遊ぶのも楽しかったし、お小遣いをくれたり(10円とか20円)、美味しい御飯を食べさせてくれる祖母も大好きだったので、夏休みとか長い休みがあればよく1週間くらいお泊まりしたものでした。 くちやかましい母の顔をみないですむのも子供心にうれしかったりして。 7、8才くらいだったか...やっぱりそんな風に遊びに行ってたんですね。 それで何日かして父が迎えに来た時のこと。 よっぽどおばあちゃんちが楽しかったんだろうね、私帰りたくなくなっちゃったの。 でも口にだして言えなくて、おばあちゃんちの玄関先で下向いてすねてつったって動かない。 「ほら、早く車に乗りなさい」と父が。 「ばいばいね、またおいでね。」とおばあちゃん。 その時の私、無言でおばあちゃんの方へすたすた歩き、おばあちゃんの腰のあたりにだきついたんでした。 帰りたくないよーって精一杯の無言の主張。 その時のおばあちゃんの顔。 あらあら、と困ったようなうれしいような何ともいえない表情を浮かべて私の頭をなでてくれたなあ。 今思えばおばあちゃんは本当にうれしかっただろうね。 いきなり孫にそんなことされたらたまりません、って。 たぶん。 ...ところではた、と気がつくと。 なぜ私は第三者の構図でこの場面を覚えているのか? まるでドラマの1シーンみたいに。 私はおばあちゃんのかっぽうぎに顔をうずめているはずなのになんでおばあちゃんの表情を覚えているのか? (ほんとになんともいえない顔してたのよ、おばあちゃん) だきついているならおばあちゃんの顔、見えないじゃん。 それとも抱きついたのはほんとは私じゃなくて姉か弟で、私はそれを見ていたのか? いや、違う、あいつらそんな情緒的な奴らじゃないし。 たしかにだきついたのは私。 覚えているのも私。 ...多分、私にとってもせつないうれしい思い出だったから何度も思い出してるうちに少しづつドラマチックに色付けされちゃったのかな。 抱きついたのは確かだけど、別の場面で見たおばあちゃんの顔とかあてはめていたのかも。 ほんとにほんとにこのおばあちゃんのこと大好きだったからね。 今みたいにビデオで残ってなんかいないから、記憶ばかりが鮮やかになって残る。 私はその方が好きだ。