「はなぢ・・・」 今週はねえ・・ もう鼻血に悩まされましたわ。 たかが鼻血されど・・・ いやあ、結構やっかいでした。 長年、鼻をほじる・・・ いやいや、鼻の穴の清掃にいそしんでいたのですが、どうも度が過ぎていたようで。 綺麗好きなのよ・・・ 人前じゃ掃除しませんよ、一応。 時々度が過ぎて鼻血を出すこともあったのですが、今回のは少々、出過ぎたようです。 折からの角の清掃で、鼻の穴がかなり傷んでいたみたいですね。 (その自覚は充分あった…汗) ある朝、目覚めた時に全然触れてないのにだあーっと出血。 ちっ、またやっちゃったか・・・とティッシュを突っ込んで止血をこころみるものの、なかなか止まらず。 寝たままだったので、出た血がのどに流れ込んで生温かくて気持ち悪い・・・。 いつもより多いな・・と思いつつ、10分くらいで止血。 その後は何事もなく。 しかしその夜、忘れてた頃にまた出血。 今度はだらだらかなり出る。 顔を洗っている最中だったので洗面器が真っ赤に染まる・・キモ。 横になるとまたのどに流れて気持ち悪いのでしゃがんだままで鼻をつまむ… 20分くらいでようやく止まる・・・ ちょっと多いわね、と思いネットで調べる・・・ よくあることらしい。 他に出血はないので(歯茎とか)いわゆる病気ではなく、割とよく鼻からの血。 キーゼルバッハ部位、という鼻の割と手前が、血管が多く集まっているので鼻血の9割はここから、と。 正しい止血の仕方は、小鼻をつまみ、しゃがんだ姿勢、(寝てはだめ)、冷やすといいらしい、のどに流れる血は飲まずに吐き出す、とか。 うんぬん。 それも15〜20分くらいで止まる。 また忘れていた頃、今度は出先で突然たらーっとキタ! (しかも銀行のATMの前で!) あわてて鼻をつまんだので服やあたりを汚すことはなかったけど今度はなかなか止まらない。 銀行の椅子でじっと止血するものの、15分、20分、30分かかってもちろちろ出て来る赤い血。 困った困った。 そうしてるうちにトイレ行きたくなっちゃって、少し止まりかけてたので歩いて10分足らずの家へ鼻をつまみながら帰る・・・ 自宅のトイレへ・・・ 片手で・・・ 以下省略。 この日はすごく暑い日だった・・・。 1時間くらい経って、鼻血は止まったが一応近くの耳鼻科へ。 そしたら、そういう鼻血は血管が傷ついているので、でも一週間くらいで自然と治っていく、との事。 少し薬を塗ってもらって自然治癒を待つ・・・はずが。 翌々日の夜、また出る。 (なんか生温かいのがたらーっとくるから鼻水じゃない、ってすぐわかる) 今回もなかなか止まらなかった。 ずっと正しい止血法で鼻をつまんでいても、手を放すとまだちろちろ出てる。 (最初はだらだら、どばどば、そしてちょろちょろ・・・あとパッパッ、って御飯の炊き方じゃない) 治るどころか、血管の傷がどんどんひどくなっていく印象だ。 これは自然に治るのを待つ、レベルじゃないな、と思い、翌日朝イチで別の耳鼻科へ。 プールにも行かれないし、あ、炎天下もよくないんだってさ。 で、そこでようやく「患部を電気で焼く治療」を施していだたき、ようやく鼻血から解放される・・・。 3500円也。ホッ。 お医者さんによると、今は役治療でやけどと同じ状態なので触ったり強く鼻をかんだりしないように、とのこと。 これがまた結構うっとうしいのだがあの鼻血のうっとうしさに比べたらまあ、大したことはない。 我慢、我慢。 うう、ほじりたいよう・・ いや、鼻の清掃をしたいよう・・・。 でも今後も清掃は控えなければならないだろう、今回の場所は治ってもまた繰り返したくはない・・・ 嗚呼、永遠に・・・ この世の楽しみがひとつ失われた・・・涙 ・・・・・・ばーか。 しかし近所に医者がいくらでもあり、さほど待たされずにすぐ治療してもらえる日本の(都会の)医療、ってありがたいですね。 外国とかじゃこうはいかんでしょう。アメリカなんかはすごく医療費高いらしいし。 鼻血えれぢい、でした。 P.S ようやく暑さも一段落か・・・。 今年はろくに山登れなかったな。 ふうう。
夏子
「青年R」 Rさんの話を聞いてください。 Rさんは、19歳の昭和20年の2月に招集され、9月まで海軍に従属した。 彼が15の時に父親が病に倒れ、その後遺症で働くことができなくなりほぼ母子家庭で、長子であるRさんが母を助け姉や妹、家族7人(!)の生活を支えることに。 村で一番の秀才ではありましたが、貧しい暮らしの中、近所の人たちからは 「高校なんかに行ってないで軍隊に入った方が親孝行だ」なんて言われていたそうだ。 Rさんの心中いかばかりか・・・。 しかし戦局の悪化か、ただ一人の男子、跡取り息子のRさんにもとうとう「赤紙」・・・召集令状が来る。 いよいよ戦場に行く・・・バスに乗って横須賀の駐屯地に向かうという日。 Rさんはまだ小さい妹たちに、バスの右側で見送るように、と言い聞かせた。 まだ小学生だった末の妹、中学生だった6つ下の妹も、言われたようにバスの右側で兄を見送ることにする。 そして兄を連れて行くバスがやってきて、Rさんそのバスに、戦争に行くためにそのバスに乗る。 そしてバスの中で、右側で見送る妹たちに向かって、両手を挙げて 「ばんざい!」と叫んだそうです。・・・ 妹たちは号泣。 Rさんのお母さんは、大切なただ一人の男子を、跡取り息子を差し出す無念さか、バスを見送ることが出来ず、戸口からそっと見送ったそうな。 Rさんもどれほどつらかったか無念だったか・・・。 Rさんは横須賀の海軍の訓練所みたいなところで予備兵として待機した。 幸い(というべきか?)戦局の悪化のせいか・・結局Rさんが前線に行くことはなく、8月15日の終戦を過ぎて9月に無事戻ってこられたという。 妹たちによると、横須賀ではRさんは面会日がつらかった、そうだ。 自分は面会の予定がなく、家族に会う他の仲間を見るのがいやでたいてい一人で海で時間を過ごしていたから、と。 たいてい面会者は「ボタモチ」とかの甘い物をお土産に持って会いに来たそうだ。 Rさんの家族もその時に備えてなけなしの小豆や砂糖をとっておいて面会日を待っていたのだが、実はRさん、あえて連絡をしなかった。 会うとかえってつらかったのか、それとも家族の負担を考慮したのか。 心のやさしいRさんの事だから、自分にあてる小豆や砂糖があったら、まだ小さい妹たちに食べさせたい、と思ったか・・・。 今では確かめるすべもないのだけれど。 兵隊さんは兵隊さんである前に一人の人間で、Rさんは妹たちのやさしい兄さんで、姉たちからはかわいい弟で。 母親にとっては大切なただ一人の息子。 (しかも跡取り、他の男子は産まれたけど亡くなった) そして私の父だ。 ひとりひとりが誰かのたいせつな誰かで。・・・ 先々月の6月、父の23回忌の席でRさんの妹、私の叔母さん達から初めて聞いた話だ。 私の母・・妻も知らなかった、父がまだ19歳の青年だった時のエピソード。 「お父さん、海軍だったら、終戦がもう少し遅れていたら戦艦大和、で英霊になったかな?」 「いや、その時は戦艦大和はとっくに沈んでいたよ、海軍はすでに全滅。」 「なあんだ、じゃよかった・・・」 って笑ってる場合か。苦笑。 小学生の頃、父に 「お父さんは戦争で死体、見たことあった?」と尋ねたことがあった。 「いや、お父さんは見なかった」と言われて子供心にホッとし、しかし長ずるにつれ父が子供の私が怖がらないように嘘をついたのかな?とも思うようになった。 ホントはお父さんは死体を見たことがあるんじゃないか?それどころが人を殺したことさえ?・・・ ・・・という長年の疑問は解けたようだ。 前線へ行かなかったのだから多分戦場で死体は見ないですんだ、というのは真実だった。 しかし、それでも軍隊という閉鎖空間で、しかも敗戦濃厚のさなか、兵士にかかる不安とストレスは如何ばかりか・・・ そのためにどれほど苛酷な、陰惨な人間模様が繰り広げられたか、は想像するのも怖い。 父は酔っぱらうとよく「軍歌」を歌っていた。 「インパール作戦」とか戦記物の小説もよく読んでいた。 どんな思いで読んでいたのか、若い日が懐かしかったか、それとも怒りから、歴史を知りたかったのか。 父はどういう思いで・・・・ 今ではもう永遠に知ることはできないけど。 「集団的自衛権」の言葉を聞くと理屈ではそれは「国家として当然の権利」だそうですが感情では・・・かなり複雑です。 かと言ってどうしていいか、どうすべきなのかすぐにはわからない情けなさ。 ああ・・・。 P.S CSでやたら戦争の番組があるので見ていたら、ヒットラー、って人物は実に頭が悪く、卑怯で臆病でみっともない容貌の人物だったみたいです。画家になりたかった、そうだけどその絵も大してうまくもなく、親も金もなく、(オーストリア出身で)まともなドイツ人ですらなかった、そうな。 こんな男がなぜ・・・。 で、NHKのBSでやっていた「ヒットラーに立ち向かったユダヤ人教師」というのは面白かった。 (面白い、というと語弊がありますが・・・) ドイツで、とにかく独裁者(ヒットラー)の一歩先をゆき、出し抜き、知恵と勇気で生徒たちを守り抜いたユダヤ人女性教師の話でした。 いやこの女先生がすごくて。 もちろん力、じゃなくて頭のよさ、が。 ヒットラーじゃ敵うわけなかった。 もしも一対一のサシの勝負だったら・・・ なんてのは意味ないか。 しかしよい番組でした。 (製作はドイツ、っていうのも妙味)
先日高校時代の同級生と女子会。 (女子会、つう言い方は違和感あったけどすっかり定着してしまった・・・便利なんですよ、いろいろ) 彼女らは教師なので毎度いろいろ興味深い話を聞かせてくれる。 なんとなく、東北の地震の話題になった時のこと。 被災された方々が、苛酷な状況下でもしっかり列に並び、秩序を守り他人を思いやった、子供でさえ・・・と 世界中から驚愕・賞賛をあびた、というエピソートに、彼女ら曰く 「あれはね、小学校の教育の成果よ。本当に。 私達は本当にそれを教え続けているのよ。 並びなさい、早い者勝ち、強い者勝ちじゃないのよ、って。 教えなければ一年生、って全然できないから。」と。 一年生というのは何かあるとわあーっと群がっちゃうそうだ、我先に、とばかりに。 まるで動物の子供。 学校の先生達はごくごくありふれた、当たり前の社会の約束事をひたすらをたたきこむ、そうだ。 これから生きていく幼い弱い未熟な、でもたいせつなかけがえのない生き物たちに。 「普通に強く」すこやかに生きていけるように。 東北のエピソートは、何年も、何十年も、学校の先生達が地味な努力と忍耐を重ね、ひたすら培ってきた日本の学校制度のたまものなのだそうだ。 そうか、そうなんだな、並ぶのは当たり前、って思ってたけど、世界を見渡せばその限りではないのか・・・。 あの時、CNNとかの海外ニュース見てたらアナウンサーが 「暴動はおきてないのか?」と何度も何度もしつこく現地キャスターに質問して、 「ありません、そういった暴動は今のところ聞いてません。」と応答され、拍子抜けしてたような。 私はむしろ「えっ、暴動って普通は起こるもんなの?」とこっちがびっくり。 発展途上国とかならともかく、いわゆる先進国でも?? カルチャーショック、だったっけ・・・。 そういえば韓国船のあの事故がらみで耳にしたのだけれど、韓国では泳げない人が多いんだって。 (ネットでひっぱってみたら7〜8割がカナヅチと) 理由は、学校にほとんどプールがなくて、水泳の授業がないからだそうだ。 だからあの事故の時、取りあえず海に飛び込む、という選択が取りづらかったのだろうか? だとしたらお気の毒だ・・・。 日本では、たいてい夏は体育で必ず、と言っていいほど水泳やりますね。 それは1年生から。 もちろん先生も一緒に水着でプールに入る。 友人の彼女らも、いまだに水着になる、との事。!!! 飛び飛びに、水泳が入っていると面倒くさいんだって、疲れるし。 夏は暑いのでプールは楽しみだったなあ。 私の小学校は、古くて防水櫓みたいなコンクリのプールだったけど、脚の感触が心地よかった。 濡れたタイルの感触って、今でも好きじゃない・・・ なんか気持ち悪くて。 何メートル泳げた、クロールできるようになった、とか・・・ この時身につけた水泳がほとんどの人にとっては泳げるすべて、という事になる。 私は小学校3年で平泳ぎを覚え、クロールを覚えそこなったのでいまだにクロールは25メートルが限界。 背泳ぎは、大人になってから少し上手くなった・・・。 中学とか高校になると、思春期だし面倒くさいし水着になるのがいやだった・・・。 最近は、水難事故対策で服着たままの泳ぎ方とか、溺れそうになった時の浮き方、救助のされ方(!)などを教える小学校もあるらしい・・・ すごいキメの細かさだ。 別のニュースでは、フランス人もカナヅチが多い、とのこと。 バカンスで、海とかへはよく聞くけど、必ずしもおよぐわけではない、と。 もちろん授業で水泳やらないだろう・・・。 またドイツでは「部活動」というものはないらしい。 サッカーでもハンドボール(盛んだって)でも。 スポーツをやりたければ地域のクラブでやりたい人だけがやる。 それと、ドイツの先生は時間がきたら1分だってよけいな仕事はやらない、と。 ましてや部活動、なんてまったく存在しないらしい。 (最近読んだドイツ事情の本より) イタリアでもアメリカでも、年少の子供がスポーツをやるときは親が必ず送迎をする、と。 ブラジルでは・・・ 今でも普通に子供は通りで裸足でサッカーやるみたいね。 ブラジルだけはイメージ通りでした。 各国それぞれ事情がありますが、つまり日本の学校、というものはいいところも一杯ある、と言いたかったのでした。 悪くない学校生活だったんだなあ・・・。 あ、忘れてた、ものすごく大事な事だけど学校給食! これ世界一! 間違いなく! 美味しくて安くて栄養バランスがよく、そして愛情がこもっている! 以前に見た「アメリカの給食」というサイト、もう爆笑モンってくらいヒドくて・・・。 ものすごいひどいメシ喰わされてアメリカの子供、心の底から可哀そうー。 P.S 先日の、ダンディライオンをひまわり、と書きましたがたんぽぽ、 の間違えでした。 (指摘有り)いやあ、暑いからさ、って。汗。 ははは・・・。
「猛暑・・・」 また暑い夏がやってきている・・・。 先週末、東北へ温泉&登山へ行って来た、のだけれど。 一つ目の栗駒山(宮城県、秋田県、岩手県の県境にある)には予定通り登ったのだけれど、翌日の姫神山は、15分ほど登って、あまりの暑さにリタイヤ! 中止! 東北なのに暑かった・・・。 東京と違って熱帯夜とかはなく、朝夕はそれなりに涼しいのだけれど・・・。 8時も過ぎると、もう夏の太陽が燦々と。 気温も27.8度に・・・! 東北なのに〜〜〜涙。 栗駒山の方は曇天だし稜線に少しは風があったので何とか楽しめたのだけれど、(それでも一時間もしないうちに汗びっしょり)姫神山の方はすでに登山口で気温は27.8度。 樹林帯は木陰はあるものの風はほとんどなく、稜線に出たら間違いなく炎天下。 標高が低いので頂上へ行ってもあまり気温は低くないだろう・・・ うおおお! 暑いぞ、間違いなく! そんな事を考えながら登っていても気分はどんどん萎えてきて・・・ やめるのなら早いうちがいい・・・・で、 「ごめん、中止させて」と。 去年、7月に新潟の山に登った時、同行者が熱中症になった。 自分がなるのもつらいけど、仲間がそうなっても困る。 炎天下の稜線、木蔭も水場もない。 何の対策もできず、わずかな木蔭を探して横になるしかない。 私は近くの水場、沢へ下りてありったけのペットボトルに水をくみ、タオルでひたしたりして少しでも体温を下げる・・・。 幸い回復したけれど、結構トラウマになっている。 山で熱中症になっちゃうのは、恐怖以外の何物でもない。 そんなだから、早めに「中止宣言」をしたのだけれど・・・・。 これが結構精神的にはつらい。 同行者に迷惑かけるし、宣言した時点ではまだバテているわけじゃないから、単になまけてるとかだらしない、とか傍からは見えるのは不本意だ。 でも自分でもそう思わないわけじゃないから自己嫌悪にもなる・・・。 とはいえバテてから、倒れてからかける迷惑はそのいやな気分の比じゃないから勇気を持って撤退、を決断したわけだけど・・・。 (大げさな・・・苦笑) あー、いやな気分。 人間関係もぎすぎすするし、自分でも情けない気持ちだ。 挫折感も強い。 この先自分にサボり癖がついたらいやだなあ、とも思う。 どんな登山でも、がんばらないで登れる山なんかないのに・・・。 でも足が痛いとか、ハアハアきついとか、汗かくのがいやなんじゃない、 「極端に暑い」のがいやなんだ。 別に義務じゃない、趣味とか道楽に過ぎないのに、そういうので苦しいのはいやだ。 ついでに高山病で苦しいのもいやだし鎖場とかで怖いのもやだな。 山は、すべからく安全でさわやかで気持ちよく登りたいものだ。 そのための汗なら望むところなんだけど・・。 北アルプスも、登山口は最近結構暑いしトップシーズンなんで山小屋も混雑してる。 聞くところによると、ヒマラヤ8000m級でも炎天下は暑くて汗が出るそうだ。 (さすがに関係ないけど) 帰り道の、6時間かかる異動も暑かったし。 高速の渋滞もうんざりした。 もう登山も含めて、夏は出かけない方がいいのかなあ・・・と思う凄まじい猛暑の8月。 ふうう。 でもテレビで「熱中症に注意、外での運動は危険」なんて言いながら次のコーナーでは「甲子園」の予選のニュース。 なんか違和感あるなあ。 球児たちも暑いだろうが応援する人もたまらんだろう。 そして6年後は7月24日に東京オリンピックの開会式だってさ。 2022年にはカタールでW杯。 ほんとにやるのかな・・・ うへえ、見ているだけで熱中症になりそうだ。 P.S 今日最後の向日葵を切って飾った。 屋上には背の低いこぶりなアートタイプのひまわりの種を蒔き、ベランダに は従来の大きなロシア種のひまわりの種を蒔いた。 それでも屋上は日当たりが十分(すぎる)なので、小さい種でもかなり大き く育ち、花は去年ほどではないけどかなり大き目、茎はセロリのように太い。 ベランダは、大きな種なのに朝しか日が当たらないから小さ目の花が咲いた。 切ってかびんにさすにはちょうどいいサイズになった。 花も、少しずつ種類が違ったりして、でもどれもすごくきれい♪ ちなみに、英語で「ダンディライオン」、「デンターライオン」ともいう。直訳すると「ライオンの歯」だ。 長方形できれいに並ぶ花びらが、ライオンの並んだ歯に似てる、のが語源。トリビアだ。 種から育てた私のひまわり、次から次へ咲いて一か月以上部屋を飾って楽しませてくれた。 近所のよく行くレストランにもおすそわけして喜ばれた。 種を買った花屋さんにも咲いた花を見せに行った。 「こんなコが咲きました〜」 「あら見事だわ〜上手に育てたねえ」 「なーんにもしなかった、勝手に咲いてくれた―」 去年は台風とか大変だったけど、今年は特別被害はなく・・・。 ありがとう、来年もまた会いたい。