「ヒモザイル」 たまたまこれのニュース見た。 う〜ん、確かに少々露悪趣味、でもまあ好みもあるのでいやなら読まなければよいのではないか。 何も休載するほどのことでは…と。 でもまあ、少々思考が傲慢かな。 しかし若くて才能と勢いがある人が傲慢になるのは仕方ないかな、とは思う。 むしろなって当たり前、その勢いが作品に力を生むのだし。 (そりゃ編集さんはセンセイに文句は言えないだろうけどね、いわんやアシ君たちも) 何かを描いて発表・発信する、という行為はどこかで誰かを傷つけてしまうのは逃れられない宿命だ、というのは映画監督の大林宜彦先生の受け売りです。 世界のだれ一人も傷つけない、なんていうのは創作物としては有り得ない、万人向けの味付けなんて、スパイスのまるでない不気味な食べ物ではないか。 スパイスも毒もない漫画なんて…。 漫画とはちょっと違うけど以前におむつの普通のCMがあって、それを見たとある女性が「流産した直後でそのCMを見て傷ついた」という投書(だったかな…忘れた…20年以上前なんで)を聞いた記憶がある。 いくらなんでもそこまで配慮したらおむつの宣伝できないし、そうしろと強要されたら何も発表できなくなる…。 私も以前よくおまけ漫画でアシさん達の似顔絵描きました。 特徴を極端に描けば描くほど似てしまうことがあり…。 (例えば口がでかい、とか目が小さい、とか) それを強調すればするほど(時に)おもしろく、見てすぐ「ぷふっ」と笑える傑作(?)になったりする。 「嫌われるような似顔でなければ似顔絵の価値はない、好かれようなんて思うな」とはこれもやっぱり巨匠・山藤章二センセイの受け売りです。 後で「あの似顔絵は傷ついた」と言われたこともあったっけな。 描く方はおもしろくても描かれた方は複雑だろう…。 自分だって変な似顔絵描かれたらたとえ似てても、いや似てるからこそ激怒するだろう…。笑。 それでも、描かずにはいられない時がある。 絶対、これしかない!こう描きたい、こう描かなきゃだめだ!!と信念みたいなオーラが降りてくるときがあったのーー! 神の降臨か…おおげさだな…たかだか似顔絵で。笑。 それはもう漫画描きの「性=さが」なんです、許してください。 ま、そういう時があったりするの。 そういう時はもう筆が止まらない。 とても幸せな瞬間だったりする。 もはやエクスタシーか…。 …でもそれは本人だけだったりするとね…。 ほんとに神の降臨クラスだったら、見た人の多くを幸せにするもんだよね。 それでも、その神クラスの作品でも、当人は納得しない事はしばしばあるだろう。 似顔絵ではないけれど、かの向田邦子のエッセイ(父の詫び状他)、あれほどの大傑作でも書かれた家族には不評だった、と書かれておられた。 私なんか、父の詫び状読んで、大笑いして楽しみ、時に泣き、ぐぐっと心をつかまれ、大いに学び、参考にし、つまり感動したものだけどね。 あれだけ洗練された文章でも書かれた方は不快だったらしい…贅沢な…違うか…。 長谷川町子のエッセイにも似たようなエピソートがあったな。 いわんや私ごときの作品では…笑。 いまさら(外野の私なんかが)言ってもしょうがないけど、あの作品は「限りなく事実に近いフィクション」として、もっともっとおおげさに誇張して「トンでもない性格の漫画家先生とアシスタントの話」にしておけば…って気もするけど。 いや。 しかしそこは多分東村先生も考えただろうな。 そして、いや、やはりこれは事実(ノンフィクション)で行こう、行きたい、そうでなければ作品の命、というか勢いというか「トンガリ」みたいなものが失われる、そこを失くして、何が作品か、困難な方(ノンフィクションスタイル)でやろう!…と だってそっちのほうがずっとおもしろい!! おもしろいのを描きたい!!…… ……と 思ったのでは…。 性(さが)でしょう。 つまり何が言いたいかというと、 再開すればいいのに、って思います。 万人が好む作品ばかりじゃつまらない、「トンガリ」みたいなものこそ漫画の本質、命ではないですか。 そして売れない、誰も共感してくれないみたい、となれば淘汰されていく運命で、漫画家は「作品の責任」は自身の作家生命で取るのだし。 アシ君たちには…「ありがとう、ごめんなさい!」と詫びて、嫌われればいいじゃないですか。 がんばれ。
P.S 昔さ、フロンターレのアマノ君に選手の似顔絵頼まれて、ついペンが 走って 、ものすごいキモい似顔絵描いて、NGだされちゃったことあったな。 ま、選手にきらわれたくもないからややカワイイ系に描き直したけど、 アマノ君、あれは最初の方が似てた! 間違いなく! 懐かしい思い出。 ふふ。 P.S2 小学校2年の時(つまり大昔だ)テレビで見た当時東京都知事だった美濃部 さんの似顔絵を広告のチラシかなんかに描いたの。 美濃部さんって「お人よしの溶けたなまず妖怪」みたいな顔しててさ… そんな感じで何気なく描いた似顔絵の紙切れを父が見て、笑いを通り越して いたく感動してくれたっけな。 「似てる!!ううむ!」って。 もっと懐かしい思い出…ちょっと自慢♪ サッカーの岡田監督(元)の似顔絵も得意。 これも特に親しくもない、漫画も読まない親戚の男性が思わず吹き出して、 「うっまいなあー…」と感心してくれたわ。 本人が見たら(見ることもないけど)気を悪くすること請け合いの。
夏子
ちょっと話題になっている、息子さん3人を東大に合格させたお母さんの語録。 (本出した、って) なんでも「恋愛は時間のむだ」とかいうフレーズ。 正確にはどういった文章か忘れたけど言わんとしてることはわかる。 わかるけどビミョウ〜にや〜な感じねっ。笑い。 何いや〜か、って、反論しようもんなら全部「嫉妬してるんでしょ、うらやましいんでしょ」って方向になっちゃう感じがいや〜ね。笑。 そりゃ受験に恋愛なんてとりあえず必要ないし、そんなもんにかかわって煩わされる時間があったら英単語の一つでも覚えろ、って。 でも恋愛つうのはしようとしてするもんじゃないけどね。 (それくらいはわかるっち。笑) 「無事受験に合格したからさあ明日から恋愛してみようかと思うんだ、お母さん」 「ああ、それならいいわねえ…」 そんなわけないって。笑い。 この場合、「片思い」や「妄想」はどうだろう? 恋愛としてカウントしていいのだろうか。 普通は片思いはカウントしないかな…。 思春期の男の子が悶々とした時は…。 そこらへん、著書に書いておいてほしいわね…あ、読まないか。笑。 でもまあ、ある意味正しいかな。 これを漫画に置き換えると。 漫画家になりたかったら彼女なんか作るな、って言ってた漫画家さんもいたっけ。 だって気が散るもんね。 集中できないし。 片思いならまだましで、これが両想いになっちゃうと、まあ幸せで結構だから漫画なんか描いてられない、って。 だって漫画は独りでなきゃかけないんだから。 物理的にも精神的にもさ。 ふられて、寂しくて、でも何とか自分の人生切り開いていきたいから、そこしか光が見当たらなきゃ、死にもの狂いでがんばるものさ…。 20歳で孤独は恥ずかしくない、耐える力は持っているし、むしろ孤独の方がいい時もある。 寂しくて、飢えて、あこがれて、それを作品に昇華していくものさ。 時々いるの、夜、一人の部屋で、机に向かって地味なネーム作りなんて寂しくてできない、って外に出ちゃう人。 友達とか恋人とかといつもべたーっとつるんでいる人とか。 それじゃいつまでたっても作品できない、って。 作品ができなきゃ漫画家になれるわけない…。 もちろん恋は時間のむだじゃない。 例えれば、人生というパレットに並べる絵具の数(質でもいい)みたいなもんだ。 豊かな絵具があれば人生の色どりはきっと豊かになるだろう。 もっとも、多すぎてもいけないけどね。 100色の色鉛筆セットなんて、あれ必要ない色たくさんあるよね。 水彩絵の具なら、7〜12色くらいで十分だな…。 だいたい恋愛を「利益」があるないで分類するのもいやね…。 今どきの若者は「恋愛はコスパ=コストパフォーマンス」が悪いから…って敬遠するんですってさ。 コスパは違うだろうー!!!笑。 もう一ついや〜な感じ、ってところは「恋愛は時間のむだ」って言う前に、「もてないんですよ、うちの息子は」っていうケースはどうだろう?笑。 したくたってできないんですから。 心配する前に、始まらないんですから。 受験があろうとなかろうと…芽が出る前に、種がない。 「それならお勉強に集中できてよござんしょ」かな。笑い。 ははは。 うん、あたちはよく集中できてたな、20歳のころ。 (おかげで漫画家に…笑。遠い昔。くすっ)
P.S 週末、木曽方面の「南木曽岳=なぎそだけ」に登る。 結構きつかった。 天気に恵まれたので頂上近くは展望よし。 その中にあの御嶽山が。 ひときわ大きく、美しくて哀しい。
ラグビーの生中継を半分見てから予定の登山へ。 (後半も見たかったけど…) 日帰りで山梨方面へ。 「雁ヶ腹摺山=がんがはらすりやま」 知らないよね、誰も。 私だって登るまで知らなかったもん。笑。 なんでも、雁が飛ぶ時山が高くて腹がこすれそうに見える、が由来とのこと。 そこまで高くないのに。 腹がこすれる、とはうちの猫のたるんだ腹みたいだ。 登って下りて3時間、秋晴れの下始まりかけた紅葉を眺めながら、のなかなかよい山行でした。(先週と同じか…) しかし登山口前の駐車場には先行らしい車が一台だけ。 ほかのパーティーがいない朝の登山口はどことなく寂しく…。 さらに立て看板には「熊出没注意」と。 そんなのはよくあるんだけど、人の気配がほとんどないのは少々心細い…。 すると誰もいないはずの背後で「バサッ」!物音が!! 振り返っても誰もいない…。 登り始めてしばらくすると、また「ゴソッ!」「カタッ!」……。 もちろん登山者も誰もいない…。 「コロコロコロ…」 小石が転がる音のようだ。 すわ、クマ出没!? いやいや、安心してください、いませんよ。笑い。 どうやら葉や枝が風で落ちる音のようだ。 やや大きめの枝とかが落ちて、落石を誘発したらしい。 耳を澄ませると、けっこういろんな音が聞こえてくるもんだ。 風が鳴る音や、それで木々が揺れる音。 空、って鳴るんだ。 時にはゴーゴー、と。 鳥や虫の声も聞こえる。 さらに、遠くで花火の音もする…今日は運動会か。 はたまた近くの自衛隊基地の砲撃訓練の音かもしれない…。 ギュイーン、ギュイーン、とチェインソーの音が聞こえる時もある…木を伐採してるのか…御苦労さまである。 バイクの排気音とかはすごく迷惑だ… 向こうも人の迷惑にならないように山まで来てるんだろうが…。 さらに、気がつくと自分の足音が反響して、こだまのように少し離れたところから聞こえてくる。 自分のザックの水筒の「チャポンチャポン」という音や自分の服の衣擦れの「カサカサ」というかすかな音がこだまして反響して、まるで後ろから誰かがついてくるみたいに感じたりする。 「誰かいるのかな?」と振り向いても誰もいない。 気のせいか、と歩くとまた聞こえる…。 自分が止まると音も止まる…。 ほら、夜の道でお月さまが追いかけてくる、あんな感じ。 静かな山でも耳を澄ますといろいろな音が聞こえるものだ。 よかった、耳はまだ大丈夫だ…笑い。 感性も研ぎ澄まされるようだ。 すっかり都会で汚染された心身でも…笑い。 昼間の、晴れている山でも、一人だとちょっと怖いよ。 (単独行はしないけど、時々同行者に離されて、ぽつんと一人になる時はある…) もちろんクマとかも怖いけど、トラブルとか事故に遭うともっと怖い。 何かあったらどうしよう、怪我して動けなくなったら、叫んでも誰もいなかったら… とか想像すると不安は増幅する…登るんじゃなかった…なんてね。 いつだか北アルプスとかでうっかり同行者と離れちゃって、霧で視界がきかず気がついたら道を間違えていたことが何度か(!)あったっけ。 一瞬ヒヤっとして、「おおーい、おおーいーーー!!!!」と叫んでも返答がなかった時はちょっと怖かったな。 でもそうなると、意外と落ち着いて冷静に元来た道をもどったっけな。 いざとなると腹がすわるものか… 本当にいざ、という時でもそうありたいものだ…遭いたくはないけど。 百名山の著者の深田久弥は茅ヶ岳で脳溢血で死亡したんですよ、登山中に。 そういう事態になったら… 自分が、または同行者が…。 中高年登山者は多い… 幌尻岳では心臓疾患で亡くなった登山者とニアミスしたっけ…。 ぞーっとしちゃいますね、いろいろ想像すると。 小さな山でも、迫ってくる自然にはいつでも圧倒される。 何が怖いか、って遠い、ってこと。 山って距離があるんだ、ちょっとそこまで、ちょっと水汲みに、とか行くの大変な時があるの。歩いていかなきゃいけないからね。 そりゃ登山だから当たり前か。 でも疲労してる時は気が重いんだ。 もっとも歩かなきゃどうにもならないから行くけど。 決心さえすれば案外大したことないんだけどね…。 だから登っていてほかの登山者に会うと本当にほっとするものだ。 何か起きても助けを呼んでもらえるし。 北アルプスや、百名山の山なら週末はたくさん登っているけどね。 (北アルプスや富士山なんかでは渋滞するほど…笑) 「こんにちは」 「おつかれさま」とか 「今日はいい天気ですね」 「頂上は見晴らしいいですか」とか会話する。 時には 「もうばてばて」 「あと少し、がんばって」 「ありがとうございますー」とか 励ましあったりする。 もちろん初めて会う人たち。 名前も知らず、すれ違って多分それきり再び会うことのない人たち。 でも同じ山に登りに来た、気持ちは一緒、もはや同士。笑 究極の「一期一会」、ちょっとイカすと思いませんか。
P.S あ、一度だけ、夏の終わりに西穂高山荘で一緒になって、その年の秋、 涸沢(紅葉で有名なのよ)ですれ違って、「あ、あの時の…」ってこと あった。 でも本当にそれ一回きり。
「さわやか登山」 先週末南アルプス方面の甘利山〜千頭星山(せんとうほしやま)という小さめの山に登る。 山梨県なのでそりゃもうどでかい見事な富士山を眺めながらこれ以上ない、という晴天、見事な秋晴れの下。 そしたら「凄いお母さん」がいたのさ。 多分まだ30代、若くてきれいなお母さん。 なぜお母さん、かというと6,7歳くらいの男の子を連れ、2,3歳くらいの女の子を抱っこして(!)登っていたのだ。 もちろん3人分の荷物を背中にしょって。 よく赤ちゃんを背負子にのっけて登る若いお父さん、というのはよく見かけるけどお母さん、というのは珍しいかも。 背中のザックははたぶん7,8キロくらい?女の子はう〜と、よくわかんないけど13,4キロくらい?あわせて20キロくらいは結構重いですよ。 高校の時のワンゲルの歩荷(荷物をしょって登る山行)河原の石詰めて20キロで丹沢登ったけど結構きつかったもん。 物理的な重さよりたった一人で(お父さんは不在)幼い子供2人を連れて山に登る、精神的な重み、それがすごいなあと。 女の子は、半分くらいは自分の足で歩いて、あとの半分はお母さんが前抱っこ、(スリングみたいなので)抱えて登るわけ。 さすがにお兄ちゃんの方は全部自分の足で歩いてたけど。 山だから何が起こるかわからない。 いくら小さい山とはいえ。 もしも子供が一人でも怪我したら。 お兄ちゃんの方が怪我したら、お兄ちゃんを背負わなければならない。 そしたら妹は自力で歩くだろうけど疲れちゃったら… もしも二人して怪我したり体調崩しちゃったら… もしもお母さんの方に何か起きたら… なんて外野の私の方が想像してどきどきしちゃったわ。 でも多分何か起きたらお母さん、二人とも背負う覚悟をしてるだろう。 背負えなくなったら、助けを求める判断をするだろう。 最悪誰もいなかったら、じっとして救助を待つ知識も装備も持っているに違いない。 子供に寄り添い温めて、怖がらせず、朝までしっかり守るだろうな。 ま、そんなことは起こらないようだ、この日は。 幸い晴天、どんな小さな山にも誰かしら登っている人はいる。 私達のほかにも何人も登山者はすれ違う。 犬も3匹いたっけな。笑。 何か起きたら絶対みんな助けるに決まってるさ。 もちろん私だって。 それが登山というものじゃないか…。 途中で母子を追い越し、「すごいねえ」「がんばってるね」とか声かける。 「お兄ちゃん、元気だね」「あ、妹は寝ちゃってるね」とか。 するとお母さん「寝ちゃってくれた方が楽ですわ。歩きたがって、でもこの先登山道狭いから危なっかしくって」と笑顔。 頂上に着いてラーメンなどを食べているとしばらくして母子到着。 「お疲れさん!」 「がんばったねえ」 といろいろな人が声をかける。 私も、3つ持ってきたみかんを一つは自分で食べて、残り2個をあげたの、お兄ちゃんに。 そしたらさ。 お兄ちゃん、2個とも自分で取っちゃった! 妹にあげないのよ! そしたら妹が目ざとくそれを見つけて 「あー!あー!おみかん!お兄ちゃんがー」とか泣き出しちゃった。 それでもお兄ちゃん、妹をからかうようにみかんを見せびらかして独り占め。 お母さんに「こらこら!」とかいさめられてようやく妹に一つ渡したようだ。笑い。 「だめだよ、一人に一個ずつ渡さないと」 「子供ってあんなものさ、自分のものは絶対渡さないよ」と諭される。 「えー!普通お兄ちゃんに2個渡したら、一個妹にあげるもんじゃないのー!?」と私。 「だめだめ、あの年の子供はそんなのわからない。社会性が身に着くのはもうちょっといってから」 「もしも妹に2個渡したら、妹もお兄ちゃんに分けてやらないよ。子供って…」 そんなものですかい。 なんて強欲なんだ…。 う〜ん、甘かったわい。 でもおいしいみかんだった。(高かったんだよー。笑) 後で見たらきょうだい、一個ずつ手にもっていた。 喜んでくれたみたいだ。よかったよかった…。 「あら、ありがとうございます!」とお母さんも喜んでくれたし。 きっと何日か前から 「日曜日は登山に行こうね」って靴とか服とかおやつとか準備していただろう。 「すごいいい天気だよ!」って家を出て、元気よく登って、「あ〜疲れちゃった〜」って心地よい疲れでぐっすりと夢も見ないで眠るだろうか。 登っている時だけが登山じゃない、待っている時間や後の疲れも、ひっくるめて全部「登山」なんだ…。 うん、いいお母さんだな。 強くて優しいお母さんだ。 いろいろ懸念はあろうとも、とにかくおかあさんはこの日の空や風や富士山や、始まりかけた紅葉や赤とんぼ、いろいろな山の恵みを子供に見せたかったんだろうな。 もちろん頂上に着いた時の何とも言えない喜びも…。 思い出の中に、みかんの色も添えてくれたら私もうれしい…。 テレビでは安倍総理の組閣のニュース。 「女性が輝ける日本」をなんて言って大臣職を少し女に分けてくれるんだってさ。 そんなことしてくれなくても(輝く、って…?)女性はちゃんとしっかり生きているわよ。 何人の代議士センセイが、このお母さんに勝るだろうか。 ね。
P.S その日泊まったホテルに中国人の団体が! 「爆買いとか、あります?」ってホテルの人に聞いたら 「…あります」ですって。 爆買いの現場見たいなあ、って思ったけどそれを見ている日本人、 ってのも間抜けかな、と思ってやめる。笑い。 (しかしその団体さんは行儀良くて、普通の旅行客也)
「五郎…マル!」 週末渋谷の駅を通ったらJRにあの赤い縞模様のラグビーのポスターで一杯。 おお、かっこいい! すごい、カネかかってるな! (なぜ舘ひろし…多分ラグビー部だったのね、クリーム片方も) そうか、あの南アフリカ戦の勝利、ってすごいことだったんだ、とあらためて実感する。 スコットランド戦は残念だったけど、それでも一緒にみていた知人にルールを教えてもらいながら、結構楽しめた。(前半は) で、「五郎丸」で検索すると、あるわあるわ。 うん、かっこいいね。 サッカー選手にはないフィジカル(デカイ!)で。 髪型もクール。 さわやかで初々しくて誠実そうだ。 (これも今時のサッカー選手にはない魅力?ほら、昨今のサッカー選手、ってよく言えばしっかりしてる、でも微妙に世間ずれしてる、というか) 全国のたくさんの子供達があのポーズを学校でまねしてるとか。 うん、わかるわかる。 (カンチョーポーズとも…笑) 「あれはね、ルーティンって言って、決まりの動きでね…実力通り、同じキックができるように…」と小学生。 イチローのウエアの肩を引っ張るしぐさとか、ね。 クリスティアーノ・ロナウドのFK前の両足を踏ん張るしぐさもそれね。 確かにかっこいいね、五郎丸選手。 (このあいだまで全然知らなかったくせに) オーラがある、というか。 その上あの劇的な南アフリカ戦でしょ。 あの「泥臭さ」!も今のサッカーにはない魅力、ですね。 (今時のサッカーはさ、ほらいろいろカネにまみれて…。 ま、それもすでに「文化」かな。チクショー) もしももしも、30年前にこのシーンを目撃していたら…。 きっとラグビー漫画描いていただろうな。 このかっこよさを絵にしたいと強く思っただろう…。 私が20代の頃、さあこれから漫画家として生きていくんだぞ、というあの時にこの南アフリカ戦を観ていたら、間違いなく。 でも30年遅かった…笑。 残念だけど仕方ないな。 30年前は、私は高校サッカーに魅せられて (羽中田君のファンになって…知ってます?韮崎高校の…) オフサイドを描いて、三浦カズに注目してJドリームを描いたんだもんね。 その時その時、心を動かされた「かっこいい男の子」を一生懸命描いたっけな。 本当に、男の子ばっかり。笑。 選手に恋をして、いつも、いつも紙の上で追っかけて。追っかけ続けて。 なんだこりゃ、いわゆる「2次コン」じゃありませんか!笑笑。 紙に描くと、何か好きな選手が自分のものになったような錯覚ができて、それはそれはうれしかったのよね。 もちろん、それは空想(妄想?)で、物語が終わると幻のように消えてなくなっているのだけれど…。 で、完結できてほっとしてうれしい反面寂しいからまた次の「アイドル」を探して…。 だいたい次から次へ、ニューヒーローは現れてくれたものだけれど。 とりわけサッカーでは、ね。 80年代以降は激動の歴史でしたからね、サッカーは。 本当に、いろいろ感動させてもらいました。 そしてその感動を紙にのせ…想像して創造し、妄想して、現れては消え…。 基本、楽しかった。笑。 で、五郎丸選手、かっこいいね。 でももう以前ほど心を奪われる事はなくなった。 ラグビーも、試合はそれなりに楽しめたけど20代の時ほどじゃなくなった。 トシのせいかな…。 もうスポーツを描くことはないだろう。 今好きなのはローマン・レインズ!笑。 WWEよ!もちろん漫画に描くことはなく。笑。 あくまで観て、楽しむだけ。 その楽しみもかつてに勝ることはないけどね。 ちょっと寂しいかな。
P.S サッカーと違ってボーナス点、なるものがあるのね。 負けても、7点差以内ならそれもボーナスの対象となる。 トライ数が多ければそれもプラス。 結果が全て、ではないのは興味深いけどそのせいで日本は2位以内が かなり厳しい、との事。 あらら。 …しかしなんだって中3日の後今度は中10日なんだ? それに日本は第2戦だったのにスコットランドは初戦。 不公平じゃないの…。 よくわからんね。 P.S2 10月1日より「まんがオンウェブ」第3号発売、との事。 こちらで描かせていただいている「EVIL」、スポーツじゃないけど 充分キャラに入れ込んで楽しんで描いてます。 ジャンルとしてはサスペンス、ですがおもしろいですよ。 自分で言うんだから間違いない。笑。 各電子書籍ショップなどでお求め出来ます。 よろしく。 P.S 安保法案成立、か。 反対派のニュースばかり流れていたけど冷静な賛成意見をもっと聞きた かった気がした。 反対派のシュプレヒコール、テレビで見てたらちょっと怖かった。 あの中では違う意見を口にはできないだろう。 そうなると、どっちが「全体主義」(…ファシズムっていうの?)だろうか。 う〜む。