「エベレスト・・・」 80歳でエベレスト登頂ですって・・・・。 凄いとは思ったけど感動はできなかった。 正直言えばゾッとした・・・・。 なんでそこまで・・・。 何歳であれ、エベレストが苛酷な山行(さんこう)には違いない。 (あ、もちろん知識として知ってるだけ、だけどさ。でも充分推測はできるよ。) なぜそこまで「タイトル」にこだわるのか・・・。 職業が「冒険家」なので何かに「挑戦」し続けなければ許されないのでしょうね。 誰が許さないのか? う〜ん、自分で自分が、かな?。 大昔(2,30年位前かな)、スポンサー(つまりお金)をたくさん集めてテレビ局を巻き込んで企画する「大ヒマラヤ遠征」みたいなのが好きじゃなかった。 (大人数で荷を上げ、前進キャンプを設営していく。「極地法」、と呼ばれていた それに対して、少人数で酸素ボンベなどは極力使わず荷を減らして前進キャンプを 減らす、「アルパインスタイル」と呼ばれる遠征が増えた。 もっとも、現地のシェルパの雇用もからんでくるのでどっちがどう、とは言えないかも) そういう企画は必ず、「世界で初めての」とか「世界一の」などの冠が付いていた。 (付いていなければスポンサーが付かないわけで) 大きなプロジェクトになればなるほど当然「しがらみ」が増えていく、そうなると登山家は登頂が「義務」や「ビジネス」になっていき・・・もちろんどんな時でも登頂は当然目指すけれど、ただでさえ苛酷な山行に、よけいな「荷物」が増えていく。 結果、「撤退」の選択が出来なくなった時の悲劇は・・・・。 う〜ん。・・・・・ それに6000mくらいから(だったかな?)ヘリで下山した、と聞いて、 正直「それはちょっと違うんじゃないかな?」と感じちゃった。 確かに「登頂」は事実だとしても、やっぱり、脚で登って、下りて、「登山」ではないのかな。 私は三浦雄一郎氏のお父さんの故・三浦敬三さんが大好きだった。 (100歳でモンブランをスキー滑降した、という) どこが好きか、っていうと100歳でも一人暮らしをして完全自炊をしていたところ。 テレビや書籍で紹介された自炊メニューはおもしろかった。 (鶏や魚を骨まで柔らかく煮て丸ごと食べる、とか) 生活を充分に楽しんでいるのが伝わってきた。 特に「圧力鍋」料理は大いに参考になり、その時マネして購入した圧力鍋 (日本製、7000円はリーズナブル!)は15年経った今でもほぼ毎週使っている。 圧力鍋、最高よ♪美味しくて超簡単♪ そんで、「顔、少しでも若く保ちたいから」って自分で考えた「べろ出しエクササイズ」してるの、鏡に向かって一人で「べえーっっ!」って下を突き出す。 もうラブリー♪可愛いったら。笑。 今で言うアンチエイジングね。 (顔の筋肉を鍛えるので実際、理にかなっている、との事) テレビで見た、昭和の初めの頃、八甲田の白い山を、ウサギがカモシカのように見事に滑走していた映像が残されている。 ホントにもうびゅんびゅん「跳んで」いた。 映っていた誰よりも鮮やかに・・・。 今みたいに圧雪・整地されたゲレンデであるはずもない、自分の脚で登って滑る、完全な「山スキー」だ。 当時はどんなスキー板だったのだろう・・・・昭和の初めだから・・・。 でもどんなにか楽しかったことだろう・・・。 ・・・・・・・・・・・ ひたすらスキーを愛し、いくつになってもスキーをしたい、ただそれだけのために活き活きと生き、生活を人生を楽しんだ三浦敬三さん。 年齢を越えて、という点では三浦雄一郎氏と同じように見えるが多分三浦敬三さんは誰が見ていなくても、メディアに賞賛されなくても同じ生活を続けていただろうな。 そこが、二人が似ているようで決定的に違うところだと思う。 「感動」ってそういう事だと思っている。 P.S ドールの「ドライマンゴー」、マジ美味い! メチャヤバ級(なんだそりゃ・・・) さっそく登山のお供に。最適也。
夏子
「富士山・・・」 富士山が世界遺産(文化部門?なんだそりゃ)入りです、と。 で、とある山の雑誌が富士山特集やる、というので私に富士山でエッセイを、と頼まれたのですが。 「え〜、富士山?確かに百名山だし日本一高いしなんたって富士山だし・・・ でも登ったのは一回だけで、御来光も見れたけど・・・・」 正直感動はしなかった、少なくとも槍とか剱とかほどには。 3776mの標高はさすがに北アルプスとかとはくらべものにならないほど高山病はきつく、6月とはいえ太陽の光は一番強い日焼け止めを塗ってもひりひりほんとに刺すように痛かった。 御来光も、脚の下から上がってくる太陽は不思議な「絵」だったなあ。 知人曰く、 「富士山の上から見る雷、おもしろいですよ。 ちょっと下界じゃ見れないですよ。」と。 それでも。 心底がっかりしたのは、車のタイヤの跡、「キャタピラ」を見た時だ。 富士山では荷揚げは(ほとんどの山が利用する)ヘリコプターではなくキャタピラ車、つまりブルドーザーみたいなのがぐいぐい登って、それこそ頂上まで「車」が入っちゃうんだってさ。 「ええっ、ブルが荷揚げすんの?!山登っちゃうワケ?!」 心底びっくりして、なんか気持ちがすごーく沈んでいったっけな。 だって・・・。 脚で登っていくから「山」なのに。 そりゃもちろんそのブルで一般登山者がそれを利用するわけじゃもちろんないけどね。 なんか美しい富士山に「車」、しかもブルドーザーが走る図はなんかすごくそぐわなかった。 ヘリコプターならいいのか、ってうん、青い空に映るヘリは実にかっこいいのだ・・・ 勝手かしら。 北アルプスのほとんどの山は当然ブルは走れないわけで、単独峰の富士山の形状だから それができるわけだ。なるほど、うん、山小屋を利用してるんだから勝手なコト言っちゃいけないわよね、と納得するも何もそれが現実なんだから意見の言いようもないのだけれど。 しかし後で知ったのだけれど、富士山の場合、ブルの「利権」があるんですって。 ヘリが飛べないわけじゃなくて、でもヘリ飛ばすとブルの仕事がなくなっちゃんでヘリは締め出してるらしい・・・・ どっちが安上がりかはよくわかりませんが。 なんだかよくわからないしそこは突っ込んじゃいけないみたいなんで、エッセイの「富士山」のテーマは断ったのですが。 (別の山のエッセイに) でも多分百名山でなくてもきっと一回は登ったと思います。 だってなんってたって「富士山」だしね♪ ま、どんな山にしろ、登って損する事は何一つない。 まして日本一の。 あ、先週末奥多摩の「御前山」という小さな山に登りました。 登って下りて3時間半、実にさわやかでした。 こんな気持ちのよい風はあと1,2週間だろうなあ。 P.S 例の、大阪の政治家さんの、アレね。 言ってる事の正否よりもあのヒトのあの対応の仕方がイヤね。 誰かが自分の発言をちょっとでも批判しようものならすごい勢いで罵倒して、 あの自己正当化は病的なほど。 そのくせ自分は他人の悪口は言い放題で。 「ディベート」ってやつだね、言葉のけんか。 内容の正しさよりその時その時に相手を言いまかせれば勝ち。 一瞬でもひるんだら負け。 自分はいつでも正しくて、間違っていても「誤解をまねいてしまった」、 つまり正しく理解しない頭の悪いやつのせい、と。 何が何でも「俺は絶対悪くない、2000%悪くない」。 こういう奴、小学校のクラスにいたな。 勉強はできるけどかけっことかじゃ勝てないからやたら理屈っぽくて、 口で主張するわけ。 ねちねちしつこくて。 で、たいてい男子の誰かが「うるせえぞ、おまえ」って言って終わるのに、教室では。
「ウィキなんとか」 先日川崎フロンターレの広報のアマノ君と夏のイベントの事で打ち合わせをした時のこと。 (イベントについては後日詳細を) アマノ「先生(私よ)のプロフィール、データにあるものでのっけちゃって いいですか?」 私「ん?それってウィキとかの?」 ア「そうですっ」 私「・・・形式とかはそれにならってもいいけど中身は自分で答えるから ちゃんと聞いて」 ア「わ、わかりました。そうします。」 どうして? だってウィキなんとか、とかって確か自由参加型で、確かいったん書き込まれた情報に関しては基本、削除できない、って聞いてるのよ。 私は今まで一度も自分の項目見た事なくて、これからも見るつもりはないけど、もしも間違った情報がのっているのを見つけたらきっと気分が悪いと思うの。 まあ、多分そんなに間違った事はのってないと思うし、仮に間違っていたとしても他人(見る人)にとっては何の支障もないだろうけどね。 それでもさ。 本人にとってはささいな間違いが微妙に気持ちワルイ事もある。 たとえば私の出身が、川崎市のA町、ってのっていて、ホントはS町だったら。 「違う!Aじゃない!Sだよ!!!」と叫んでも訂正されないわけで。 いいや、流せばいいや、私の出身がSだろうがAだろうがまったく大した事じゃないや。 自分は微妙に気持ちワルイけど、それで世の中に影響があるわけじゃないし・・・ 風がどっちに吹こうがどうでもいいコト・・・・ とはクィーンの名曲「ボヘミアン・ラプソディ」の一節・・・・ そうだよね、フレディ。 どっちだっていいよね。・・・・ 何が言いたいかというと、 つまりネットの情報なんて大したコトのってないワケ。 というより、クリックポン!で誰でも簡単に得られる情報なんてしょせんその程度。 一番知りたい事とか肝心な事は案外のってなかったりするのね。 まして心の中なんて。 と言いつつ、他人のは見てたりして。笑。 ま、それなりに便利も感じつつ、ちょっとブサイクだな、と思うのは「情報が重複している事」と「何年か前のネタがそのまま(ズウズウしく)のっかっている事」。 あれはちょっと、クールじゃないね。 P.S マンUのファーガソン監督勇退。 「オッ、自分から?」と驚いたけどチームにはかかわる、との事。 なーんだ、「マンUのドン」には変わらないんだ。 まさかナベOネみたくなる?
ちなみに、タイトルの「こんな死に方したくねぇー」というのは、友人の漫画家の箱ミネコさんの作品のタイトルでもあります。 よろしければこちらもお見知りおきください。
「今さらながらの・・・」 たまたまBSでいにしえの名画の「ロッキー」(シリーズ1、ね)を見ました。 ははあ、何年ぶりだろうかね。 たまたま他に見る番組もなくなんとなく付けただけだけどね。 う〜ん、別にあらためて感動はしなかった。 (いい事なのか残念な事なのか・・・) 若くてきれいだけどイタリア系丸出しのスタローンの顔はやっぱり好みじゃない・・・。 確か高校生の時、(なんと)ロードショーで封切り初日に観に行ったっけな。 そんときは「大感動」したっけ・・・ふう。 前評判がすごくよくて、とにかくシンプルな筋立てで、シルベスター・スタローンの出世作で(しかも脚本も彼)、フレッシュで衝撃的で、ブルース・リー以来のスーパーヒーローの誕生だったような。 でもブルース・リーの顔は好きだけどスタローンの顔は・・・省略。 「無名のボクサーのロッキーが、いきなりすごいチャンピオンとタイトルマッチする事に なっちゃって、彼はスゴイ頑張って闘い抜いて、勝てなかったけど最後のラウンドの ゴングが鳴った時にただただ、恋人の名前をリング上で叫ぶんだって、もう大感動らしいよ!」 ・・・と、クラスメイトの言葉でヤラれて、おこづかいをはたいて一人で有楽町だかどっかに封切り日にロードショーで観に行ったっけな。 そんで、シンプルなストーリーにシンプルに感動して。 「12ラウンド闘い終わってもしもその時立っていられたら、産まれて初めて証明できる、 ただのチンピラじゃない、って事を・・・・」 の台詞には泣けた。多分、自分の作品でも大いに影響を受けていると思う。 勝ち、負けだけじゃない、闘う事、闘い抜くという事の意味や、説得力、というものを学んだ。 そしてラストの、 「エイドリアーーン・・・・」 (一時期、マネして「エビドリア―――」って注文するのが流行った…流行ってない?) で、あらためて「ロッキー」を観てみますと。 テンポはいいね。 チャンピオンのアポロとの対戦の設定も不自然な感じはまったくなく、「上手いな」と思う。 脇キャラも素朴でいい味。 エイドリアンとの不器用でブサイクなデートシーンもシンプルだ。 「俺は頭が悪いから身体を使って働け、と親に言われたんだ」 「あたしは逆の事を言われたわ。身体が弱いから頭を使う仕事をしなさい、と」 二人の会話も地味だけど味わいが。 まるで素朴なビスケットみたいだ。 主人公のロッキーもシンプルでわかりやすいキャラクター。 挫折ばかりのやりきれない人生で、思いがけなくチャンス?が舞い込み、でも負け犬根性が染みついちゃってか、とっさに「ことわる、勝てっこない」なんて言っちゃう。 ここらへん、いいね。 動かない眉毛と上げられない視線が哀しみと弱さをよく表してる。 (もちろん高校生の時は気づかなかった) 「シルベスター・スタローン」で深みのある演技なんて、これが最初で最後かね?笑。 生卵を10個くらい飲んで早朝ロードワークに出るところとか(ここのシーンの朝のラジオのDJが笑えるの、早朝突撃電話をかけていかにその人が怒るか、を実況するの)、吊るした生牛肉を叩いてトレーニングするところとか、絵的にも印象的なエピソートで仕上げている。 しかもこの映画は低予算だった、と聞くから、「お金がなけりゃ工夫する」精神がみなぎっているワケ。 素晴らしい。 今のハリウッドじゃとてもかなわないだろう・・・。 そしてあの音楽・・・ シンプルすぎ! しかしシンプルは強い・・・ 強い、ってことは映画的には勝ちだ。 このメロディを、その後何度バラエティやコントで聞いただろう・・・。 しかし。 試合シーンは物足りない。 やっぱり短い。 高校生の時はこれで十分に満足したけど、曲がりなりにも長年スポ根にかかわった者としてはちょっとチャチャっと、はしょっちゃった感じは否めない。 構図も物足りない。もっともっとボクサー目線でカメラワークをしてほしかった。 ほとんどバストショットかななめ俯瞰ばかりだ。見やすいけど。 (ロバート・デ・ニーロの「レイジング・ブル」はもっと迫力あったな・・・飛び散る血や汗とか) もっと闘わせてほしいしもっと打ったり打たれたりさせてほしかった。 ヘビー級はパンチ自体が重いのでそんなに打ち合わないかな? でももっともっとロッキーをはいつくばらせて、何度も何度も起き上がるシーンをこれでもか、と見せてほしかった。 まともに描いたのは3,4ラウンドくらいで、途中5〜11,12ラウンドはラウンドガールの掲示板の数字のみ、では残念だ。 それでいきなり風、の最終ラウンドではどうみても物足りない。 もったいない。 もっと、もっと、ボクシングシーンを見たかった・・・・・。 ま、時間が足りないのよね、映画は110分くらいで納めないと、映画館での上映に支障が出てくるんでしょうね。 ここらへん、やたら長くなる週刊漫画とは事情が異なって・・・。 (漫画の試合は長すぎ、かもね。一試合に何年も・・・) 「あしたのジョー」のホセ・メンドーサ戦は単行本一巻(増ページ有り)まるまるだ。 それも今見ると「足りない!!」。 「ドカベン」なんかは・・・省略。 なんてことをチェックしながら見てしまった・・・ 性(さが)でしょうか・・・苦笑。 この一作で一躍大スター、世界トップ級のドル箱スターになったスタローン、でもどんどんつまらない俳優になった気がします。 映画の製作費には(多分)困らなくなったでしょうが。 (たしか)一か月がそこらで一気に脚本を書き上げたというこの作品ほどのみずみずしさはマネー(?)と引き換えに永久に失われたという皮肉、というより宿命かな。 タランティーノ監督なんかもそんな感じね。 メジャーデビューの「レザボア・ドッグス」が一番おもしろかった・・・。 それでもなんとなくテレビを付けただけなのに、懐かしさもあったけど始まったらしっかり全部見てしまったのでやはり「名作」でしょう。 何より数多くの台詞やシーンをほとんど覚えている・・・・ つまり印象的だったわけだから。 (ついでにその後でオンエアしてたトム・ハンクスの「ビッグ」も最後まで目を離せなかった。 こっちも可愛い、佳品) P.S 今年も「朝顔」を植える・・・ また水やり地獄が・・・。