「五木寛之の本」 先週北海道に行った際、持って行った「人間の覚悟」なる五木寛之の本。 飛行機の中とか待ち時間とかに一応読んだ。 まともに本読んだの今年で初めてかな?ははは。 感想はおいといて・・。 TUTAYAにこの本買いに行った時の事。 (本屋行くのも久しぶりだったりして) TUTAYA は広いので探すのが大変そうだったし、本のタイトルうろ憶えだったので直接レジへ行って聞く。 「あのー、五木寛之の新刊だと思うんだけど、タイトル忘れちゃったんだけど。」 レジの若いお姉ちゃん、いくつかのタイトルをあげる。 「×××ですか?それとも◯◯◯ですか?」 「う〜ん、そうじゃなかったような気がする。 なんか、新刊でベストセラーだって聞いたんだけど。」 「新刊なら△△△じゃないか?」と脇から別の店員さん。 「おれ知っている、□□□だ。」 「それじゃない、◇◇◇よ、私、五木寛之のファンなんだからっ」 と、最初のお姉さん。 数人でワイワイ。 なかなか見つからない。 ほどなく、 「これじゃないか?」とパソコンの画面から一覧表が。 「そう、多分それっ」と私。 「お待ち下さいっ、これ、向こうにあった!」 最初のお姉さんが走って行き、数分後にようやく現物が現れた。 目の前に現れた五木寛之著「人間の覚悟」。 その薄さにちょっと「あれ?」と思ったけど、無事購入。 レジのお姉さんに、 「あなた若いのに五木寛之読むの?」 「はいっ、好きです。エッセイも小節も」 「どれが一番好き?」 「『冬のひまわり』でハマりましたねっ」 ・・・ほんとに本が好きそうだった。 他の店員さんも、きっとそうなのかな。 ・・・で、本の感想。 う〜〜ん。大小説家先生の有り難いお言葉だから有り難いのだけれど・・・。 「うんうん、なるほど」と納得した部分もあったけど正直本の薄さ同様、あまり深い本じゃなかった。 いくらなんでも戦後60年の日本の総括みたいなものをあの薄さじゃ深く掘り下げるのは無理だろう。 言ってる事は正しいし、わかりやすい文章だけど、あまりに一般的だし当たり前の事ばかりだったような。 書かれている事を自分の事として咀嚼して役立たせればいいのかな。 でも五木寛之って名前が書いてなければ手にとることはなかったかも。 う〜〜〜ん。 まあ薄い本だからいいか。・・・ あ、「プリンセス オン アイス」第2巻発売中。 よろしく。 P.S 東京の町並みはすっかり師走の色。 澄み切った冬の空。2009年を待つ。
夏子
ニセコに来ています。 (スノーボード)…でも寂しいの。 とっても。 去年あんなに沢山いたオージーが全然いないの。 少ない…ものすごく少ない。 去年の1割に満たない… ヘタすると1%か? 中国系は見かけるものの韓国系はほとんどいない(多分)。 日本人はもともと少ない。 ついでに雪の量も少ないし。 毎年ホテルで見かけていたキタキツネまでいなくなっちゃった。 キツネにまで及ぶとは…金融ショック恐るべし。(笑) 変わらないのは雪質の良さかなぁ、少ないけど。 いい気分で滑り、温泉につかり、海の幸に舌つづみを打つ。ポン! スイマセンね、私だけ。 …と、言いつつ。 これだけの極楽気分を味わいながら、心の奥ではいつもいつも 「早く帰って仕事してェ」と思ってるんでした。 早く自分の部屋にもどり、自分のいつもの椅子、いつもの机でいつものように白い原稿用紙に向かいたい、と。 日頃、忙しい忙しいとボヤキつつ(12月は特に)じゃあ、と、ゆったりとした時間を得たら今度は落ち着かないでやんの。 読みたいと思って持ってきた文庫本(五木寛之・人間の覚悟)も読みやしない。 トホホ。 「生きてる実感」と言ったら大げさなんだけど、それってやっぱり「日常」の中にあるのね。 あ〜あ。 バカンスにひたれない私は、さみしい日本人… 苦笑い。 でも、幸せ。 P.S インフルエンザ何やらってテレビではやたら騒いでいるけど 空港のトレイでうがいしてたらジロジロ見られた。 誰もしてないし。 予防なのに…。
「風呂なしアパート」 80年代始めの頃、一応大学生(ろくに行ってなかったけど)だったので風呂なしアパートに住んでいた。 家賃は2万〜2万3千円くらいが相場だったな。 トイレはたいてい共有、自炊が基本(食費他は一日千円が目安)。 テレビも電話も、もちろんエアコンもないのが普通だった。 友人がトイレ付きの部屋に住んでたけど狭い部屋だもんだからまるでトイレに住んでいるみたいだったな。(笑) 目の前トイレなんだもん。 パソコンや携帯電話は存在すらなかったし。 幸い冷蔵庫(ワンドア)は持っていた。 電子レンジはあり得ない。(10万円くらいしてた) 学生だったので、仕送りは5万円、まあそれだけでは済まなくなる事が多かったけど。 で、銭湯に通う。 当時、210円くらいだったか・・・毎日お風呂入ってもまだ風呂付きよりは安くついた計算だ。 (今でもそうみたい) 始めの頃は初めての銭湯は抵抗があったがすぐ慣れた。 むしろ大きなお風呂は快適だった。 それに風呂そうじしなくてすむしさ・・。 番台におじさんが居ても不思議と平気で。 そういうものだったし・・・。 (現在ではスポーツクラブに入会すれば月千円〜千五百円くらい、毎日行けば運動も できるし風呂代も浮くよ、との意見有り。) お金持ちさんもいたけどまあ周りもだいたいそんなもん。 一人暮らしはそういうもの、と思っていたので特にその事に格別不満なんかなかった。 むしろ一人だけ特別に広い部屋とかにいるときまりが悪かったものだ。 当時父が、二つ年上の姉と一緒にすめばマンション代を出してやる、と言ってくれたけどそれだけはごめんだった。(笑) バイトしてたりしてなかったり。 漫画を描いたり描いてなかったり。 金銭的な事より自分がやりたい事をやってないじゃないか、という不満や不安(少し)の方がはるかに大問題だった。 孤独である事はむしろ快適だった。・・・ ・・・なんて事を思い出したのもテレビでやたら「不況」や「派遣切り」やらのニュースやってるでしょ。 追い出される、って途方にくれる彼等の部屋にテレビやパソコンがあるのを見て、なんとなく違和感みたいなものを感じてさ。 ペットボトルのお茶とか。 (私ペットのお茶買って飲まない。水も水道水飲む。昔より東京の水はるかにおいしい) 風呂なしアパートっていう選択はないのかな? (地方は物件ないか。) 今は時代がそうだから、とも思うし、みんなそうだからそう思うんだろう。 私が昔みんながそうだから・・と思ったように。 でも幸せな事に、不安もあったけどそれ以上に希望はたくさん持っていた。 同世代の人に聞くとたいてい同じような事を聞くので「幸せな時代」だったんだろう。 だから今の私に、現在の彼等をどうこう言えないかもしれない。 それでも物質で、よりも心が、飢えたり寂しいと悲鳴をあげるのは、それこそが本当に寂しい事だと思う。 P.S 4畳半一間のアパート、毎日ツナサラダを食べながら週マガに投稿する漫画描いてたっけな。 今の子でなくてよかった、今の子、大変だよな・・・。
「冬枯れの山」 先週日曜日、群馬県下仁田の稲含(いなふくみ)山なる小さな山に登る。 登って下りて2時間ほど、標高1200mほどか。 関東でも標高が2000mくらいになるともう雪が降るからね。 低い山をのんびりと歩きたかったのだ。 紅葉も終りすっかり葉を落とした木々はなかなかいい風情である。 天気がよかったこともあり、太陽の光を受けて重なる枝はなんと美しいものか・・。 足下は落ち葉のじゅうたん、やわらかに踏み締める登山道は風もなく、限り無く静かだ。 時折ナゾの鳥の鳴き声がしたりして。 いいねえ、日本の山。 いつも思うんだけど、こういうおだやかな低い山、初めてなのになんとなく見た事があるような気がするのよ。 デジャビュ? なつかしいような・・。 小さい頃里山で育ったわけでもないのにね。 (育ったのはむしろ公害とコンビナートの立ち並ぶ川崎) 私の中の「日本の原風景」って、絵本や童謡の中に在ったものだろうな。 子供の頃知らず知らず歌ったり読んだりした風景がそのまま、あたかも自分のふるさとのように記憶されて・・・。 ♪静かな湖畔の森の陰から・・・とか うさぎ追いしかの山ー・・・とか 秋の夕陽に照る山紅葉ー・・・ 剱立山黒部は寒いユキちゃんの香りはこうじ味噌・・・てCMソングやんか。 森なんて見たことない、うさぎも秋の山も、剱も立山も歌の中だけだったのに、何十年もたって、その歌の風景にようやくめぐりあう。 そして「そうそう、こういう感じ」って納得してる。 この目で見るのは初めてのくせに・・・。 ここには巷の「金融ショック」や「地球温暖化」やらはまったく関係がない。 ここちよい汗と日溜まり、ひんやりと美味しい空気、ひたすら穏やかな時間があるだけだ。 遠くにはもう真っ白になった浅間山・・・・よく見ると槍・穂高の北アルプスまで・・ 今年もう一度槍に会えるとは思っていなかったよ・・・さよなら来年またね・・・。 「癒される」とはこういう事か・・・。 思えば唱歌を歌っていた小学生の頃はなんの悩みもなかった・・・だからなのかな・・・。 ちっ、ノスタルジーかい・・・。 そうそう、この山おもしろいの、ガイドブックにその山の目玉が書いてあるのね、「紅葉」とか「ツツジ」とか「唐松林」とか。 この山の12月の目玉は「ひだまり」ですって。 くすっ。 たしかに小さな頂上は冬の陽でいっぱいだった。 360度遠くの町もよく見える。戦国時代には物見に立っただろうな。 山越えもしただろう・・・基本的には当時と変わらない山・・・。 武田軍か上杉軍か・・・はたまた・・・。 こんな小さな山でも登る人が何人もいた。 頂上で、東京から来た、と言ったら地元らしき人が 「ええ?東京からわざわざこんなマイナ−な山に登る為だけに来たの?!」と言われて苦笑い。 P.S 恒例の今年の一字、「遼」でどうでしょう。 ハニカミ萌?きゃっ♪
「ゴーゴー!ライブ!」 先週スケートのNHK杯・女子フリーを観に代々木行ってきました。 (講談社の他誌の漫画家さん(のアシさん)からチケットを譲っていただいた。 Oさん、アシさん、ありがとうございました。) いやあ、おもしろかった。久々に感動しちゃった。 テレビで見るよりずっとスタジアムって盛り上がっていたのね。 それと、拍手とか、あたたかいなあ、と。 どの選手がどういうコンディションで、どういう心境で試合に臨んでいるか、わかってる人が多いのね。 やっぱり、スタジアムって真のファンがいるものなのね、改めて感じた。 意外と男の人も結構いて、「キャー」も盛り上がるけど「ウオー」はもっと盛り上がる。 それで思い出したのが数年前のトヨタカップ。 ジダンとかフィーゴとかが在籍していた銀河系最強、って言われてた時のレアルマドリの試合。 それがぜんっぜん盛り上がってなかったの、スタジアムは。 ほぼ満員だったのに、いいプレーが出てもシーンとしてて。 拍手は出るけど 「ウオー」はない。 なんかすごく変な感じだったなあ、サッカーじゃないみたいな。 思うに、あの時の試合は、チケットがすごく高くて、フツーのレアルファンは手に入らなかったのかな、と。 招待客とかお金持ちの、上品であんまり叫ばないタイプの人が多かったのだ、きっと。 そういう私も叫ばない、女性だし、試合に集中したいし・・・でもねえ・・・。 もうひとつ思い出したのが昔女友達と観に行った男性ストリップ(!)みたいなの。 (!!!) 友達はすごくノリのいいコでさあ。 「イエイ!イエイ!」と大声で声援送って、楽しんでいたよなあ。 私はと言えばノルわけにもいかず、ただ固まってしまった。 (そんなら行かなきゃいいのにね) ダンサーにしてみればノリがいい方がいいに決まってるんだからね。 仮想現実みたいなものなんだから。 お客が恥ずかしがっていたらダンサーさん達も困るでしょうよ・・・。 空気、読めよ、って、私の事だ。 イングランドのプレミアリーグではすっかりサッカーがビジネスの投資対象になっちゃって、景気はつくけどチケットが高くなっちゃって、本来のサポーターの人たち(男)がスタジアムに行かれなくなっちゃったケースもあるんだってさ。 なんか、間違ってる・・・。 やっぱ、スタジアム(ストリップ?も)は盛り上がるタイプの人がいるべきだよ! そういう人たちのものだよ、サッカーも、ストリップ(?)も。 まあ、私はライブ向きの人間じゃなくて申し訳ないけど、盛り上がる会場、というのは“やはりいいなあ”、と感じたんでした。 私の分まで(?)たくさん声援を送って(特に男の人の低い声、ワクワクするね)、選手に気持ちよくパフォーマンスをさせてあげてください、どの競技においても。 (ストリップも・・・?) P.S 「裁判員制度」みんないやがってるけど私はやってみたいなあ、通知こなかったけど。